10/25 こども説教 使徒行伝20:25-28
『私には責任はない?』
20:25 わたしはいま信じている、あなたがたの間を歩き回って御国を 宣べ伝えたこのわたしの顔を、みんなが今後二度と見ることはあるまい。26 だから、きょう、この日にあなたがたに断言しておく。わたしは、すべての人の血について、なんら責任がない。27 神のみ旨を皆あますところなく、あなたがたに伝えておいたからである。28 どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。
(使徒行伝20:25-28)
エペソの町のキリスト教会からわざわざ会いに来てもらった長老たちを前にして、主イエスの弟子は語りつづけています。エルサレムの都で牢獄に閉じ込められ、とてもきびしく苦しい扱いを受けることを神さまからあらかじめ知らされていました。牢獄に閉じ込められたままになるかも知れないし、もしかしたら生きて出てこられないかも知れないと覚悟もしています。26-27節で、「わたしは、すべての人の血について、なんら責任がない。神のみ旨を皆あますところなく、あなたがたに伝えておいたからである」。このパウロも含めて、すべての伝道者の働きは『神のみ旨を人々に伝えること』です。どういう神であり、どういう救いと恵みであり、神を信じる人々がどのように生きることができかということです。神から「しなさい。伝えなさい」と命じられたことを精一杯に行い、また伝えてきました。神の御心にかなうことをと願って働いてきました。だから、「わたしには何の責任もない」と、きっぱり言い切っています。え? ちょっと無責任すぎるような、乱暴で、いいかげんのようにも聞こえるかも知れません。けれど、この考え方がふさわしいと思えます。では、だれに責任があるのか。なぜなら、神さまにすべての責任を負っていただいているし、神さまにすべてをお任せしているし、神さまにこそ従って生きているということです。なんと晴れ晴れした生き方でしょうか。そのうえで、キリスト教会の上に役割を与えられ、神によって務めに立てられたあなたがたも、自分自身と群れの人々によくよく気を配って働きなさいと励ましています。どのように気を配るのか。神に忠実に聞き従い、よくよく信頼し、神にすべてを任せて生きるようにとです。