2020年6月22日月曜日

6/21こども説教「死んでよみがえる希望がある」使徒17:32-34


 6/21 こども説教 使徒行伝17:32-34
 『死んでよみがえる希望がある』

17:32 死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言った。33 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。34 しかし、彼にしたがって信じた者も、幾人かあった。その中には、アレオパゴスの裁判人デオヌシオとダマリスという女、また、その他の人々もいた。
(使徒行伝17:32-34

 主イエスの弟子たちが神の国の福音を語り続けています。
 32節をもう一度、読みましょう。「死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言った」。それで、主イエスの弟子パウロは、いったんその場所から立ち去ってしまいます。
とくに、「死人のよみがえり」のことを聞いて、いろいろな受け止め方がされました。「いずれまた聞くことにする」というのは、どういう気持ちで言っているでしょう。「何月何日ごろに、ぜひ聞きたい」ということではなく、「もしちょうど良いチャンスがあれば聞いてみてもいいけど、今は聞きたくないし、聞かない」とその人は思っています。そんな馬鹿なことがあるものかとあざ笑う人たちがおり、「いずれまた聞く」と耳を塞ごうとする人たちもいました。けれど、それを聞いて信じた人たちもほんの何人かいました。今もそうです。死んだ人間がまたよみがえることなどあるはずがないと多くの人たちが思っているからです。しかも、この「死人のよみがえり」こそが、キリスト教の信仰の最も大切な中身です。(1)まず救い主イエスが神の約束のとおり、死んで、死人の中からよみがえりました。救い主だけではなく、主イエスを信じる私たちもまた、死んだ後でよみがえり、神の国に迎え入れられて神さまといっしょに新しい生命に生きることになっています。(2)しかも生きている間にも、神を信じる私たちは、自分勝手でわがままな悪い心や在り方を殺していただいて、神さまの御心に従った新しい生き方をはじめることができます(ローマ手紙6:1-18,8:1-13を参照のこと)。ここに、この信仰の生命と希望があります。