5/31 こども説教 使徒行伝17:16-21
「イエスとその復活を宣べ伝える」
17:16 さて、パウロはアテネで彼らを待っている間に、市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた。17 そこで彼は、会堂ではユダヤ人や信心深い人たちと論じ、広場では毎日そこで出会う人々を相手に論じた。18 また、エピクロス派やストア派の哲学者数人も、パウロと議論を戦わせていたが、その中のある者たちが言った、「このおしゃべりは、いったい、何を言おうとしているのか」。また、ほかの者たちは、「あれは、異国の神々を伝えようとしているらしい」と言った。パウロが、イエスと復活とを、宣べ伝えていたからであった。19 そこで、彼らはパウロをアレオパゴスの評議所に連れて行って、「君の語っている新しい教がどんなものか、知らせてもらえまいか。20 君がなんだか珍らしいことをわれわれに聞かせているので、それがなんの事なのか知りたいと思うのだ」と言った。21 いったい、アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていたのである。 (使徒行伝17:16-21)
あとで地図を見て確かめることができます。主イエスの弟子たちはギリシャのアテネという町でも神の国の福音を語り、人々に知らせつづけていました。その町の中のあちこちに、木や石などで造った神の像がたくさん並べられていました。通りかかる人たちは、それを見て、拝んだり手を合わせたりもしたでしょう。その様子に、主の弟子の一人は腹を立てたり、困ったり悲しんだりしました。木や石で造ったその像は神ではないし、神さまがその木や石の中に入り込んで住んだりもしないからです。ただの木や石を拝んでも良いことは何もないからです。神ではないものを知らずに拝んだり、頭を下げたりしている人たちに、本当の神さまのことをぜひ知らせてあげたいと思いました。それで毎日毎日、広場で、人々に神さまのことを話して聞かせつづけました。神であられる救い主イエスと、そのイエスが十字架につけられて殺された後、死人の中からよみがえったことをです(18節)。キリスト教会とクリスチャンは、今も、その同じ一つのことを語り、人々に知らせつづけています。