4/5 こども説教 使徒行伝16:35-40
『無事に出かけていきなさい』
16:35 夜が明けると、長官たちは警吏らをつかわして、「あの人たちを釈放せよ」と言わせた。36 そこで、獄吏はこの言葉をパウロに伝えて言った、「長官たちが、あなたがたを釈放させるようにと、使をよこしました。さあ、出てきて、無事にお帰りなさい」。37 ところが、パウロは警吏らに言った、「彼らは、ローマ人であるわれわれを、裁判にかけもせずに、公衆の前でむち打ったあげく、獄に入れてしまった。しかるに今になって、ひそかに、われわれを出そうとするのか。それは、いけない。彼ら自身がここにきて、われわれを連れ出すべきである」。38 警吏らはこの言葉を長官たちに報告した。すると長官たちは、ふたりがローマ人だと聞いて恐れ、39 自分でやってきてわびた上、ふたりを獄から連れ出し、町から立ち去るようにと頼んだ。40
ふたりは獄を出て、ルデヤの家に行った。そして、兄弟たちに会って勧めをなし、それから出かけた。
(使徒行伝16:35-40)
朝になって、彼らを牢獄に閉じ込めさせた長官たちは部下の警察官たちを来させて、「あの人たちを牢獄から出して自由にさせなさい」と言わせました。主イエスの弟子たちは「いいや。それではダメだ」と自由になるのを断りました。ここはローマ帝国の支配のもとにある国で、私たちはそのローマ帝国の市民だ。そういう私たちを裁判にかけもせずに、人々の前でムチ打り、正しくない間違ったやり方で牢獄に入れた。それなのに、また裁判にもかけず勝手に、また誰にも知られないようにこっそりと牢獄から出したり入れたりしていいだろうか。それは間違っている。もし、牢獄から出てほしいのなら、せめて長官たち自身がここに来て、私たちを連れ出すべきだ」。その弟子たちがローマ帝国の市民だと聞いて、長官たちは怖がって、彼らによく謝ってから、どうか立ち去ってくださいと彼らにお願いしました。彼らは、出てきました。さて36節で、牢獄の看守が「無事にお帰りなさい」と主イエスの弟子たちに言いました。ここが大事です。神を信じていない他の人立の普通のいつもの挨拶と同じ言葉が使われているからと言って、ここでも同じ意味で使っているわけではありません。それは元々の言葉では、「神さまとの平和のもとに、先に進んでいきなさい」という意味です。無事であることも、何かを怖がることもなく安心であることも、神さまの恵みのもとにこそ成し遂げられるからです。看守とその家族も、主の弟子たちも私たちも、その同じ神の平和のもとに心安らかに生きる者たちだからです。