4/12 こども説教 使徒行伝17:1-9
『救い主イエスの死と復活を』
17:1 一行は、アムピポリスとア ポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。2 パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、3 キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした。4 ある人たちは納得がいって、パウロとシラスにしたがった。その中には、信心深いギリシヤ人が多数あり、貴婦人たちも少なくなかった。5 ところが、ユダヤ人たちは、それをねたんで、町をぶらついているならず者らを集めて暴動を起し、町を騒がせた。それからヤソンの家を襲い、ふたりを民衆の前にひっぱり出そうと、しきりに捜した。6 しかし、ふたりが見つからないので、ヤソンと兄弟たち数人を、市の当局者のところに引きずって行き、叫んで言った、「天下をかき回してきたこの人たちが、ここにもはいり込んでいます。7 その人たちをヤソンが自分の家に迎え入れました。この連中は、みなカイザルの詔勅にそむいて行動し、イエスという別の王がいるなどと言っています」。8 これを聞いて、群衆と市の当局者は不安に感じた。9 そして、ヤソンやほかの者たちから、保証金を取った上、彼らを釈放した。 (使徒行伝17:1-9)
2-3節、「パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした」。聖書に書いてあるとおりに、主イエスは死んで、その三日目に復活しました。この方が救い主であること、また救い主イエスに導かれて、信じる私たちも我がままで強情で臆病な古い自分と死に別れ、その「神に逆らう自分」を投げ捨てさせていただいて、それと引き換えのようにして新しい生活に生きる者とされました。このときばかりでなく、今もこれからも、ただこのことだけが語られつづけます。どんな希望をもっているのか、先行きにどんな良い見通しをもっており、どういう慰めと支えがあるのかと聞かれるとき、この同じ一つのことを、キリストの教会と主イエスの弟子であるクリスチャンは答えつづけます。そのように神さまの御心にかなって生きようと願い求め続けて、毎日毎日を暮らしていく私たちです。