3/15 こども説教 使徒行伝16:11-15
『主が彼女の心を開いた』
16:11 そこで、わたしたちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。12 そこからピリピへ行った。これはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。わたしたちは、この町に数日間滞在した。13 ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場があると思って、川のほとりに行った。そして、そこにすわり、集まってきた婦人たちに話をした。14 ところが、テアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという婦人が聞いていた。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた。15 そして、この婦人もその家族も、共にバプテスマを受けたが、その時、彼女は「もし、わたしを主を信じる者とお思いでしたら、どうぞ、わたしの家にきて泊まって下さい」と懇望し、しいてわたしたちをつれて行った。 (使徒行伝16:11-15)
とても大切な話をされても、ちっとも聞こうとしない人もいるし、耳を傾けてよくよく聞こうとする人もいます。信じる人もいるし、信じられずに聞き流しつづける人もいます。昔も今も、これからもそうです。14節を見てください、「ところが、テアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという婦人が聞いていた。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた」。神さまが、その人の心を開いて、耳を傾けさせた。だから、その人は耳を傾けてよく聞くことが出来ました。礼拝の中でも、家にいて家族といっしょに祈るときにも、「神さま。私たちの耳と心をあなたが開いてくださって、聞くことができるようにさせてください」といつも祈っているのは、このことです。しかも彼女もその家族も、洗礼を受けて、神を信じる者たちとされました。「どうぞ、私の家に来て泊ってください。お願いします。さあ、どうぞどうぞ」と、熱心に強く願い求めて、主の弟子たちを連れて行きました(注)。どんな神さまなのか。どういう救いと幸いが与えられるのか。神を信じて、どのように毎日毎日を暮らしてゆくことができるのかをぜひ詳しく聞きたかったからです。自分ばかりではなく、わたしの家にいる私の大切な家族みんなにも、その大切な話を、ぜひ聞かせてあげたかったからです。
(*)【補足/懇願し、強いて連れて行った理由】
15節、「主イエスの弟子たちに自分の家に来て、泊ってください」と、彼女がとても熱心に、とてもとても強く精一杯に願い求めたことが分かる。「もし、わたしを主を信じる者とお思いでしたら」;信じたからこそ洗礼を受けたのだし、授けたのはその弟子たち自身である。もし、宿泊を断るなら、それは「この女性が主を信じる者だと認めていない」ことになるではないか。しかも「懇願し、強いて~連れて行った」と報告される。彼女の心と、強制連行するばかりの切なる情景が目に浮かぶようではないか。