2020年1月28日火曜日

1/26こども説教「主イエスの恵みによって」使徒15:1-11


 1/26 こども説教 使徒行伝15:1-11
 『主イエスの恵みによって』

15:1 さて、ある人たちがユダヤ から下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。……6 そこで、使徒たちや長老たちが、この問題について審議するために集まった。7 激しい争論があった後、ペテロが立って言った、「兄弟たちよ、ご承知のとおり、異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにと、神は初めのころに、諸君の中からわたしをお選びになったのである。8 そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなし、9 また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。10 しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。11 確かに、主イエスのめぐみによって、われわれは救われるのだと信じるが、彼らとても同様である」。                  (使徒行伝15:1-11


 神を信じる者たちとされるしるしは、最初には「割礼」(創世記17:9-14でした。やがて、そのしるしは「洗礼を受けること」へと取り換えられました。神さまが決めて、それに人々が従いました(マタイ3:1-17,28:16-20,使徒2:36-39,10:42-48。新しいやり方に人々が従いはじめた、そのはじめの頃には、この新しいやり方がよく分からなかったり、とても受け入れられないと強く感じる人々も大勢いました。「今まで通りのやり方が正しい」と言い張る人々もいました。話し合いをしましたが、激しい言い合いになり、とてももめました。7節以下のペテロの言葉に耳を傾けましょう。7-11節、「兄弟たちよ、ご承知のとおり、異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにと、神は初めのころに、諸君の中からわたしをお選びになったのである(使徒10:1-46参照)。そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなし、また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。確かに、主イエスのめぐみによって、われわれは救われるのだと信じるが、彼らとても同様である」。そのとおりです。ただただ主イエスの恵みによって救われる。誰でもそうです(ローマ手紙3:21-26。神さまご自身がこの新しいやり方を決めたのだし、神さまを信じて生きるこの私たちは、しきたりや人間たちの判断や感じ方・考え方にではなく、ただ神さまにこそ聞き従います(使徒4:19,5:29,ルカ福音書9:23,35参照)



              【負いきれなかったクビキ】
        8節。律法主義の慣習、しきたり。この126日の大人説教
(マタイ福音書11:25-30『重荷を負って~』)でもこのことを取り扱っています。神からの律法は、もともとは神に従って生きるための恵みの手段であり、人々を神のもとにある幸いへと導くはずのものでした。けれど、それは人間中心の重荷や足かせと変質し、人々を苦しめ、不自由にしました。中身と本質を考えることを止めたとき、それらはかえって、神を信じて生きる幸いを曇らせ、歪めてしまいました。今日、私たち自身の只中にも、『人間のものであるクビキや重荷』と『神からのものであるクビキ、荷物』と2種類があります。改めて、救い主イエスが「私のクビキを負って、私の荷を運んで、従いなさい」と神への従順の道へと招きます。