11/24 こども説教 使徒行伝13:24-25
『救い主イエスを信じて生きるための道備え』
13:24 そのこられる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に悔改め のバプテスマを、あらかじめ宣べ伝えていた。25 ヨハネはその一生の行程を終ろうとするに当って言った、『わたしは、あなたがたが考えているような者ではない。しかし、わたしのあとから来るかたがいる。わたしはそのくつを脱がせてあげる値うちもない』。(使徒行伝13:24-25)
24節、「その来られる前に」というのは、約束されていた救い主の来られる前にという意味です。
救い主イエスが来られるほんの少し前に、洗礼者ヨハネは、私たちが救い主イエスを迎え入れ、救い主イエスを信じて生きるための準備をしました。救い主イエスを信じて生きるためには、まず心の向きをグルリと180度回して、神へと向き直らねばなりません。自分自身とまわりの人間たちのことばかり考え、クヨクヨと思い悩んで生きていた私たちが、そうではなく、神さまのほうを向いて生きはじめること。それを聖書は、『悔い改め』と言います。神を信じて生きはじめるための最初の儀式が洗礼ですが、そのときばかりでなく、その日から毎日毎日、神さまへと向き直りつづけて、神さまに信頼し、聞き従い、良いものを贈り与えられつづけて生きること。25節。洗礼者ヨハネは言いました、「わたしは、あなたがたが考えているような者ではない。しかし、わたしのあとから来るかたがいる。わたしはそのくつを脱がせてあげる値うちもない」。洗礼者ヨハネと共に、すべての伝道者とすべてのクリスチャンは同じことを言い続けます。「救い主イエスが来てくださる。私も他の誰一人も、その方のくつを脱がせてあげる値打ちもない。だから、その救い主イエスにこそ私たちは聞き従って、信頼を寄せ、その方から良いものを贈り与えられ、助けられ、守られつづけて一日ずつを生きていこうじゃないか」と。