2018年5月28日月曜日

5/27こども説教「パンと杯の食事によって」ルカ22:14-20


 5/27 こども説教 ルカ22:14-20

 『パンと杯の食事によって』

 

22:14 時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。15 イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。16 あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。17 そして杯を取り、感謝して言われた、「これを取って、互に分けて飲め。18 あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。19 またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。20 食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。               

(ルカ福音書 22:14-20

 

  救い主イエスがもうすぐ、次の朝には、十字架につけられようとしています。十字架の上で死んで、葬られ、三日目によみがえることは、ご自分を憎む人たちの悪巧みによって無理に殺されるということばかりではなく、むしろ、天の御父と主イエスとの間でずっと前から決めてあった救いの計画でした。神に逆らう罪から私たちを救うためでした。誰にとってもとても難しく分かりにくいことなので、それを弟子たちによく教えて、覚えさせるために、主イエスはパンと杯の食事を用意してくださいました。15節で、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた」と主イエスは言いました。苦しみを受ける前にというのは、十字架の上で殺される前にということです。「その前に、弟子たちと一緒にこの食事をしよう、ぜひそうしたい」と心から願っていた。この食事によって、救い主イエスが死んでよみがえることを、それが何のためなのかを、弟子たち皆がよく分かり、よくよく覚えて生きるようにと心から願ってくださっています。19-20節。パンを手にとって、「これは私の体だ」。杯を掲げて、「この杯は、あなたがたのために流す私の血で立てられる新しい契約である」と。聖晩餐のパンと杯を受け取って、食べて飲む度に、主イエスを信じる弟子たち、クリスチャンたちは、「多くの人たちと共に、この私をさえ救うために主イエスは死んでよみがえってくださった。ああ本当だ」と毎回毎回、新しく覚え直し、心によくよく刻みつけつづけます。

 

    【補足/過越の食事と聖晩餐】

    これは『過越の食事』でもありました(出エジプト記12:1-27,ヨハネ福音書1:29ほか)。だから過越と聖晩餐と二つの食事の意味が、神によって重ね合わされました。『かつて小羊の血が流されて神の民がエジプトの奴隷の家から救い出され、やがて救い主イエスの死と復活によって私たちは罪から救い出された』と。主イエスの死と復活によって新しい救いの道が開かれました。それを世々の教会は、『第二の過越し』と呼び慣わしてきました。