2018年5月21日月曜日

5/20「ユダにサタンが入った」ルカ22:1-6


 5/20 こども説教 ルカ22:1-6

 『ユダにサタンが入った』

 

     22:1 さて、過越といわれている除酵祭が近づいた。2 祭司長たちや律法学者たちは、どうかしてイエスを殺そうと計っていた。民衆を恐れていたからである。3 そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれていたユダに、サタンがはいった。4 すなわち、彼は祭司長たちや宮守がしらたちのところへ行って、どうしてイエスを彼らに渡そうかと、その方法について協議した。5 彼らは喜んで、ユダに金を与える取決めをした。6 ユダはそれを承諾した。そして、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、機会をねらっていた。         

(ルカ福音書22:1-6

 

  サタンとは悪魔のことです。神さまが確かに生きて働いておられますように、悪魔も、人間の心が勝手に作り出しただけの中身のない絵空事などではなく、本当にいるのです。悪魔もまた生きていて、その悪い働きをしつづけ、私たちを付け狙いつづけているとよく分かっていましょう。3節に、「そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれていたユダに、サタンがはいった」と書いてあります。サタンの悪い心に取りつかれて、この私たちも、このユダのように神さまに逆らったり、神さまのお働きの邪魔をしたり、誰かを困らせたり傷つけたり苦しめたりしてしまうかも知れません。それは、とても恐ろしいことです。「こう祈りなさい」と主イエスが主の祈りを教えてくださったように、「神さまに背かせようとする誘惑にあわせず、どうか悪から救い出してください」と神さまに願い求めつづけて生きる必要が、私たちにもあります。ユダのようになってしまわないためにです。神さまに逆らったり、神さまのお働きの邪魔をしたり、誰かを困らせたり、傷つけたり、苦しめたりしてしまわないためにです。

 

   【補足/サタンが狙っている】

例えば、弟アベルを殺したカインも、彼らの同類でした。罪とサタンを治めることもねじ伏せることも、私たち人間には誰にもできません。主イエスの弟子ペテロの中にもサタンが入り込み、ペテロを思いのままに操ろうとしたことがありました。エルサレムの都に向かう旅の途中で主イエスがご自分の死と復活を予告なさったとき、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません。あっては困ります、止めてください」とペテロが主イエスを諌めはじめたときに。主イエスはペテロを厳しく叱りつけました、「サタンよ、引き下がれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(創世記4:5-7,マタイ16:21-23)と。サタンが、この私たちをも付け狙いつづけています。神に背かせようとして。私たちを支配し、思いのままに操ろうとして。自己中心のよこしまさへ、あまりに惨めな虚しさへと転がり落とさせようとして。この私たち一人一人も、あの彼らと同じです。四六時中、朝から晩まで自分自身の腹の思いと周囲の人間のことばかり「ああでもないこうでもない」と思い煩って、そのあまりに、神を思う暇がほんの少しもなくなってしまうかも知れませんから。そうなっては大変ですから。