2/18 こども説教 ルカ19:1-10
『取税人ザアカイ』
19:1 さて、イエスはエリコにはい って、その町をお通りになった。2 ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。3 彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。4 それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。5 イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。6 そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。7 人々はみな、これを見てつぶやき、「彼は罪人の家にはいって客となった」と言った。8 ザアカイは立って主に言った、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」。9 イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。10 人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。 (ルカ福音書 19:1-10)
その頃、その国では、「取税人」という仕事は人からバカにされたり、仲間はずれにされて見下される仕事でした。そういう惨めな人々の中からも神の恵みにあずかる人々を起こしてあげよう、と神さまは決めておられました(*)。まず手始めに、取税人の中から12人の弟子の1人を選び、取税人たちと親しい友だち付き合いをずっと続けました。ザアカイに対しても、彼と出会うずっと前から、ザアカイの家に泊まって、神の子供たちの一人にしてあげることに決めていました。5節で、「きょう、あなたの家に泊まることにしている」と主イエスが仰ったのは、このことです。また9-10節、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子(=主イエスご自身のこと)がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」と。あの彼らばかりではありません。神さまからはぐれて迷子になっている人たちが、いまでも大勢います。「その人たちを私が捜し出して救う」と救い主イエスが仰います。そのために! この世界に、この私たちの所へも、来てくださったのです(テモテ手紙(1)1:15)。
(*)【補足/軽々しい判断】
「取税人」がユダヤ人たちから毛嫌いされ、見下されていた理由は、当時のユダヤがローマ帝国の植民地にされていたためでした。集めた税金は、もっぱらローマ帝国のために使われました。ローマ帝国に腹を立て、言いなりに従わせられている自分たち自身にも腹が立ちました。それで八つ当たりのようにして、人々は取税人を軽蔑し、憎み、毛嫌いしました。学校や職場でのいじめのように。
「罪人の家に」(7節)などとバカにしながら、自分こそが誰よりも罪人だとは人々は少しも気づいていません。例外なく誰もが皆、神に背く「罪人」。けれど私たちは、社会的地位や仕事や人相風体で判断して、ごく表面的に他人を決めつけやすい。