6/25 こども説教 ルカ12:35-48
『家の主人が帰ってくる』
12:37 よく言っておく。主人が帯 をしめて僕たちを食卓につかせ、進み寄って給仕をしてくれるであろう。・・・・・・42
そこで主が言われた、「主人が、召使たちの上に立てて、時に応じて定めの食事をそなえさせる忠実な思慮深い家令は、いったいだれであろう。43 主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。44
よく言っておくが、主人はその僕を立てて自分の全財産を管理させるであろう。45 しかし、もしその僕が、主人の帰りがおそいと心の中で思い、男女の召使たちを打ちたたき、そして食べたり、飲んだりして酔いはじめるならば、46
その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰って来るであろう。そして、彼を厳罰に処して、不忠実なものたちと同じ目にあわせるであろう。47 主人のこころを知っていながら、それに従って用意もせず勤めもしなかった僕は、多くむち打たれるであろう。 (ルカ福音書 12:37-47)
ケンちゃん。この世界全部は、一つの大きな大きな家です。家の中にいろいろな生き物がいっしょに住んでいます。鳥や動物や魚や小さな色々な虫たち、そして人間も。その一つの大きな大きな家の主人は神さまです。その家に住む生き物たち皆が、神さまのしもべ同士です。そのたくさんの色々な生き物たちのために、主人は、その生き物たちの中から、他の生き物たちのためのお世話係を立てました。お世話係の仕事は、他の生き物たち皆が安心して嬉しく暮らしていけるように心配りをし、お世話をし、ご飯を食べる時間には、三度三度、ちゃんと皆に公平に食べ物を配り、だれも困ったことや都合の悪いことがないようにしてあげることです。そのうち、あるお世話係たちは悪いお世話係になってしまいました。自分たちだけでおいしい食べ物を独りじめし、ほかのしもべたちに意地悪したり、乱暴したり、食べ物をちゃんと配ってあげなかったり。どうして悪いお世話係になってしまったのか? 家の主人がもう帰ってこないだろうと思い込んでしまったからです。「自分たちが主人の代わりにご主人様になって、自分たちだけ飲んだり食べたりし、好き勝手に思いのままにふるまっていいんだ」と思い込んでしまったからです。
さて37節の中程、「よく言っておく。主人が帯を締めてしもべたちを食卓につかせ、進み寄って給仕をしてくれる」と書いてあります。腰に帯をしめて食事の世話をするのは、しもべの仕事でしたね。家の主人が、自分からしもべになって、それをなさる。しもべたち皆を大切なお客さまとして食卓につかせ、主人である自分はしもべの身支度をして、食事の世話をなさる。なぜ、そんなことを? それくらいに、しもべたち皆を大切に思い、とても愛してくださっている主人だからです。他のどこにもいないほどの、とてもとても珍しい主人。これが、私たちの神さま(*)。この神さまにこそお仕えして、神さまの心をよくよく知らされて、そのしもべとして働かせていただいている私たちです。
【補足/しもべとなる救い主】
(*)しもべとなって仕えてくださる主人。これが、救い主イエスの心(ルカ12:47)です。十字架におかかりになる前の晩、手拭いを腰に巻き、弟子たちの足を洗って、「あなたがたも互いに身を屈めて互いの足を洗い合いなさい。わたしのしたように、あなたがたもしなさい」と弟子たちに命じました。また弟子たちに、「偉くなりたい、かしらになりたいと思うものはしもべとなり、仕える者になりなさい。わたしは仕えるために、多くに人のあがないとして自分の命を与えるために来たのと同じように」(ヨハネ福音書13:1-17,マタイ福音書20:25-28)と命じました。他にも、ピリピ手紙2:5-11「(キリストは)おのれをむなしうして僕のかたちをとり、おのれを低くして、十字架の死に至るまで従順であられた」,イザヤ書53:1-12,コリント手紙(1)9:19「わたし(=主の弟子パウロ)は自ら進んですべての人の奴隷になった」。