7/24 こども説教 ルカ6:12-16
『12人を、神さまが選んだ』
6:12 このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。13
夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。14 すなわち、ペテロとも呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、15
マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと、熱心党と呼ばれたシモン、16 ヤコブの子ユダ、それからイスカリオテのユダ。このユダが裏切者となったのである。 (ルカ福音書 6:12-16)
神さまが、ご自分でお造りになった世界のすべての生き物たちに向かって、神さまの祝福の中へと入ってきてそこで生きるようにと招きつづけておられます。祝福へ招き入れる働きのために、ほんの少しのひと握りの人々を選び出しました。アブラハムとサラの時代から、それははっきりしています。主イエスが大勢の弟子たちを招き、そこから12人を選び出し、またキリストの教会と一人一人のクリスチャンたちを世界中に立ててくださったことも、その同じ目的のためです。しかも最初から貧しい、小さくて力の弱い、ごく普通の人々をわざわ選び出しました。人間の力や強さや賢さによらず、ただただ神ご自身の力と賢さによってこの祝福を成し遂げるために(創世記12:1-3,コリント手紙(1)1:18-2:5を参照)。
選ばれた12人の中に、やがて主イエスを裏切ることになるイスカリオテのユダが含まれていたことは、私たちを悩ませつづけます。もちろん主イエスはユダがやがてご自分を裏切ることを最初から知っていました。よくよく分かった上で、その彼を弟子とし、わざわざ12人の一人となさいました。なぜそうなのかを、わたしたちは十分に説明することも、よくよく理解することもできません。神さまは私たち人間よりもはるかに賢く、はるかに知恵深いかたであるからです。十字架におかかりになる前の最後の食事の席で、主イエスが「あなたがたのうちの一人が私を裏切る」と予告し、弟子たちは「まさか私のことでは?」と心を痛めました。その通り、ユダ一人だけではなく! 弟子たち皆が主イエスを裏切り、主を見捨てて逃げ出してしまう時が近づいていました。「まさか。それは私のことでは」と私たち皆が心を痛めねばなりません。その心の痛みこそが、私たちに謙遜さや慎みを学び取らせ、神さまからの憐れみと福音のもとへと立ち返らせつづけるからです(マタイ福音書26:21-,コリント手紙(2)7:9-10)。
ノアやアブラムやサライを神さまがお選びになったように、あの大勢の弟子たちと12人を主イエスが選び出されたように、ここにいるこの私たちも神さまからの恵みによって、同じく選ばれました。同じ一つの目的のためにです。神さまが、ご自分でお造りになった世界のすべての生き物たちに向かって、神さまの祝福の中へと入ってきてそこで生きるようにと招きつづけておられるからです。祝福へと神によって造られたすべての生き物たちを招き入れる働きのためにです。やがて主イエスがこう仰います。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである」(ヨハネ福音書15:16,マタイ福音書28:18-20)。主イエスはこの私たちをも選び、主に仕える働きへと立ててくださり、他すべてのキリスト教会と共にこの上田教会をさえも神さまご自身が立ててくださいました。
さて12人を選び出すときに、主イエスが「一晩中ずっと朝まで御父に向かって祈りつづけた」(12節)ことにも気づきましたね。ちゃんと選ぶことができるために祈ったのです。選ばれた者たちが十分に働いて役割を果たすことができるために、主イエスは祈ったのです。しかも、一晩中ずっと朝まで。天の御父の御心にかなって彼らを選び、その御心にかなって彼らが十分に働くことができるために。私たちすべてのクリスチャンのためにも、主イエスは、同じく祈りつづけておられます。ご存知ですね。だから、わたしたちも出かけて行って天の御父の御心にこそかなって働こうと努めつづけ、だからこそ! 御父の御心にかなって必ずきっと実をむすび、その慈しみの実はいつまでも残ります(コリント手紙(2)9:8-11)。また、私たちが主イエスの名によって御父に求めるものはなんでも、天の御父が与えて下さいます。そういう約束だからです。