2015年10月7日水曜日

10/4こども説教「神さまを愛すること。隣人を愛すること」マタイ22:34-40

10/4 こども説教 マタイ22:34-40
 『神さまを愛すること。隣人を愛すること』


22:35 そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、36 「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。37 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。38 これがいちばん大切な、第一のいましめである。39 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。40 これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。(マタイ22:35-40

 パリサイ人たちが集まってきて、その中の一人の律法学者が主イエスをためそうとして質問しました、「先生、律法の中で、どの戒めがいちばん大切なのですか」。試そうとして困らせようとしてわざと質問したということはある。でも、それだけじゃなくて、パリサイ人たちも律法の専門家でさえ、よく分からなくなっていたのかも知れません。「律法の中で、どの戒めがいちばん大切なのですか」とその人は質問しました。モーセがシナイ山の上で神さまから律法を与えられたとき、それは十個の約束事でした。それから1500年ほどの長い長い時間がすぎてゆくうちに、神さまからの律法はとてもたくさんの約束事やルールや決まりごとになってしまって、本当にはどれが一番大切で、何のためにその細々したルールや約束事を守っているのかさっぱり分からなくなってしまいました。37-40節を見てください。「イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。一番は『神さまを愛すること』。二番目には『自分を愛するように隣人を愛すること』。ここで一つ難しいのは、39節の「第二もこれと同様である」。第一の「神を愛すること」とだいたい同じくらいに、第二も大切と言っているようです。とても大切だけど、まったく同じ大切さじゃないということです。もし本当に同じなら、「第一は」「そして第二には」などとは言いません。第一、第二という順番があることを覚えておきましょう。末尾40節に、「これらの二つの戒めに律法全体と預言者とがかかっている」とあります。旧約聖書のことを、当時は一般に「律法と預言者」と呼び習わしていました。「神を愛し、隣人を愛する」という戒めに、旧約聖書ばかりでなく聖書66巻全体も、キリスト教会が立っていることも、私たちクリスチャン一人一人が生きて死ぬ意味も目的もかかっています。
その上で、第一の戒め「神さまを愛すること」と第二の戒め「自分を愛するように、それに負けず劣らず隣人を精一杯に愛し、大切に扱いなさい」とは深く結びついていて、ひと組だと言えます。隣人を愛し尊ぶことを抜きにして、それをすっかり棚上げして、「神さまを愛し尊ぶこと」などあり得なかったのです。なぜでしょう。どうしてかと言うと、神さまは、あなたを愛して大事に思っていてくださいますが、それと同じに、あなた以外の人間や動物や鳥や魚や生き物ぜんぶのことも負けず劣らずに愛しておられるからです。神さまは、あなたが嬉しく安心して毎日を暮らすことを願っておられます。本当です。そしてまた、あなた以外のすべての生き物が嬉しく安心して毎日を暮らすことを心から願っておられます。このことは、ほんの片時も忘れてはなりません。すると、どうなりますか。もし、あなたが他の誰かに意地悪したり、ワガママ勝手に振舞って誰かを困らせたり、泣かせたり、苦しめるとき、神さまはとても心を痛めたり、悲しんだり、カンカンに怒ったりもなさるのです。私たちがしたりしなかったり、口に出して言ったり言わなかったりする一つ一つのことで、つまり私たちが私たちの隣人を、家族や友だちや友だちじゃない人や、親しい人やあまりよく知らない人たちを大事に扱うか、あるいは粗末に乱暴に薄情に扱うかによって、その一つ一つによって、神さまが喜んだり悲しんだりなさっています。本当のことですよ。
(*)「第一の掟。第二の掟」;遠い昔、モーセがシナイ山の上で神さまから与えられた十の戒め(出エジプト記 20:1-17,申命記 5:6-21)。二枚の石の板に刻まれた十個の戒めを、主イエスはこのように『神を愛すること。隣人を愛すること』と二つに要約なさいました。


 ◎とりなしの祈り

イエス・キリストの父なる神さま、だからこそ確かに私たちの本当の父になってくださり、主イエスをとおして私たちをあなたの本当の子供たちとして迎え入れ、養い、支え、守りとおしてくださる神さま。心から感謝をいたします。あなたを信じる信仰をますます私たちに与えてください。あなたの御心を思い、あなたの御言葉にますます聴き従って生きる私たちとならせてください。
  神さま。国と国のケンカを戦争というそうです。国と国も、大人同士も、夫婦も親子も、子供同士でも、外国の人とも誰とでも、ケンカをしないでいさせてください。「他の人からやっつけられないように、先に自分から相手をやっつけるんだ。誰かからいじめられないように、自分から誰かをいじめたり、そのいじめの仲間入りをしちゃおう」という私たち自身の言い訳や、なま狡い考えを乗り越えさせてください。自分たちさえよければそれでいいんだという自分勝手な理屈を、私たちにも自分の心の中から払い除けさせてください。神さま、この国の総理大臣や政府与党とすべての政治家に、そして親であり大人でもある私たちにも、何か良いことか悪いことかを見極める適切な判断力と、弁えと慎みとを与えてください。神さま。自衛隊員が誰一人も戦争とお金儲けの道具にされず、戦争が起こっている危ない場所に出かけていって人を殺したり殺されたりもせず、彼らもその家族も安心して安全に暮らせるようにさせてください。「職業訓練生」「研修生」と呼ばれながら、アジア諸国から働きにきている貧しい隣人たちが粗末に不当に扱われつづけています。彼らが権利と人権を奪い取られないように、どうか守ってください。外国から出稼ぎに来ている労働者とその家族の生活をお支えください。福祉施設や介護施設で働く人たちに、そこを利用する人たちの人権と人格を重んじる健全な判断力と公正さを増し加えてください。慈しみ深さと友愛の心を持ち続けさせてください。ですから神さま。まず、この私たちに勇気と優しい心を与えてください。戦争やケンカをはじめようとする人たちに、私たちも、大きな声で「やめて」と言うことができますように。やめて、やめて、やめてと何度でも何度でもずっと諦めないで、その人たちに、そして自分自身の心にも立ち向かう勇気と辛抱強さを与えてください。困っている人や、貧乏な人や、心や体を弱らせている人たちや、心細く暮らす人たちに、相手が日本人でも外国の人たちでも、同じ真心をもって手を差し伸べる私たちにならせてください。
 主イエスのお名前によって祈ります。アーメン。