2022年7月11日月曜日

7/10こども説教「神への従順」ピリピ2:12-13

7/10 こども説教 ピリピ手紙 2:12-13

 『神への従順』

 

2:12 わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。   (ピリピ手紙 2:12-13

 

 

 【こども説教】

 先週ご一緒に読んだ6-11節では、十字架の死のありさまを通して、御子イエスが父なる神さまに対して、どこまでも従順であってくださり、すっかり信頼して従い通してくださったことが語られていました。救い主イエスのあの十字架の死、それは父なる神さまに対する御子イエスの『従順のささげもの』だったのです。もし、神を信じて生きていきたい、神によって救われたいと願うなら、この私たち自身も父なる神に対して素直に従うものである必要があります。御子イエスがなさったように、です。思い出してください。ピリピ教会の人々は、『自分は自分は』と自分の思いや考えばかりを言い立てて、互いに争い合っていました。彼らが兄弟たちや家族や、神さまに対してもなんとかして素直な心になれるようにと、あの伝道者は、御子イエスがどこまでも父なる神に従順に従い通してくださったことを思い出させていました。

 12節、「わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい」。そのとおりです。神に従うことを二の次、三の次にしつづけて、どこまでもわがまま勝手になっていくとき、私たちは神に背き、救いの恵みから今にも転げ落ちようとしているからです。いったい誰に対して従順であるのかが、とても大切です。一番大切なのは、神さまへの従順です。ただただ声の大きな誰彼に言いなりにされて従うのではなく、自分の腹の思いに従うのでもなく、ただただ神さまの憐れみの御心にこそ素直に従おうとする私たちでありたい。神の救いと恵みを、この自分自身こそが受け取るために。神のあわれみの中を生きるためにです。

 

 

 

 【大人のための留意点】

 パウロもコリントの教会の人に、「パウロは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださるのは、神さまです。だから、植える者も水を注ぐ者も、ともるに足りない。大切なのは成長させてくださる神のみである」(1コリント手紙 3:6-7)と言いました。パウロは、「いない今」と言う時、わたしのいない今、あなたがたは神さまの前にいる、と言っています。神さまご自身が造り出してくださるものによって、自分の足で立ちなさい、と勧めているのです(『喜びの手紙 ~ピリピ人への手紙による信仰入門~』蓮見和男、新教出版社 1979年,該当箇所)