9/26 こども説教 創世記 2:19-24
『恥ずかしいとは思わなかった』
2:20 それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。21 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。23
そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。25 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。 (創世記
2:19-24)
23-25節、「そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった」。ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。裸なのに、どうしてお互いに恥ずかしがらなかったのでしょうか。2章と3章を読み比べてみると、おかしなことに気づきます。『善悪を知る木の実』と言いながら、それを食べて、彼らは少しも賢くなったようには見えません。むしろ逆に心が鈍くされて、とても愚かになり、混乱して、貧しい悪い心を持つようになりました。しかもこの2章で、木の実を食べる前に、2人が何も知らなかったのかといえば、そうではありませんでした。「2人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」。自分たちが裸で小さくて弱々しいことくらい、ちゃんと知っていました。それでも、格好悪いとも変だとも思わなかったし、お互いに恥ずかしがらせたり馬鹿にしたりはしませんでした。もともと1つの身体だったものが、神さまによってまた1つの体に結び合わされたことも知っていました。神さまが自分たちよりもずっと何倍も強くて大きくて、すごく賢いことも知っていました。それでも、だからといって、「何をされるかわからない。恐ろしい」とは夢にも思いませんでした。なぜならこの人たちは、もっと千倍も万倍も大切なことをよく知っていたからです。鼻から命の息を吹き入れられています。「土地を耕し守る」という役割を与えられ、恵みと祝福を与えられ、「これだけはしてはならない」と神からの戒めも与えられています。しかも神さまこそが、この私のこともこの人のことも大切に思ってくださり、私やこの人が幸せに生きていくために神さまこそが十分に守っていてくださると知っていました。どうしてかというと、自分たちへの神からの語りかけを聴いていたからです。
ミレー「晩鐘」