9/12 こども説教 創世記2:4-18
2:4 これが天地創造の由来である。主なる神が地と天とを造られた時、5 地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もなかったからである。6 しかし地から泉がわきあがって土の全面を潤していた。7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。……15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。16 主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。17 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。
(創世記2:4-18)
この世界とはどういう世界なのか。そこに生きる私たちや他の生きものたちはどういうものなのか、どのように生きることができるのか。同じ一つのことが、創世記1章と2章で、2つの別の方向から眺められ、2つの少し違う説明の仕方をされます。どちらも本当のことです。なぜ2つの説明の仕方をされるのか、この大切なことをよく考え、もっとよく分かるためにです。
はじめに世界が造られたとき、この世界は草一本も生えない、荒れ果てた、ものさびしく貧しい世界でした。なぜなら、神さまがまだ恵みの雨を降らせず、また、その恵みを受け止めて土地を耕す者もいなかったからです。恵みの水、そして恵みの雨を受け止めて土地を耕し守る者が、この世界が緑豊かな素晴らしい世界であるために必要でした。それが、私たちが生きる目的です。そこで地面から水が湧き出て、土を耕し守る人間が作られました。7節、「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった」。硬い石や鉄やダイヤモンドではなく、ただの土の塵から人間が造られたというのは、人間が乱暴に扱うと壊れてしまいやすい、カラカラに乾いてしまいやすい、弱い生き物だということです。鼻から吹き入れられた「命の息」は神の霊であり、神さまからの祝福です。そのように人は生きる者とされました。やがて、その命の息が神さまによって取り去られるとき、この私たちも死んで土に還ります。
15節、「主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた」。エデンの園に連れて来られたのは、その土地を耕し守るためでした。広々とした、大きな世界があり、それぞれに任せられた「それぞれのエデンの園」があります。そこを耕し守って、私たちは生きてゆきます。来週、つづきを話します。