2021年9月20日月曜日

9/19こども説教「役割、祝福、戒めのため」創世記2:15-18

 9/19 こども説教 創世記 2:15-18

 『役割、祝福、戒めのため』

 

2:15 主なる神は人を連れて行っ てエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。16 主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。17 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。(創世記 2:15-18

 

 この世界が生きるに値する素晴らしい世界であることを、どうやってはっきりと分かることができるでしょう。ほんのつかの間に過ぎ去る、とても短い生涯を、私たちはどんなふうに生きることができるでしょう。

18節で、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。結婚式のときにも語られ、よく知られている言葉です。もちろん、あなたは結婚してもいいし、しなくてもいい。ただ独りきりで生きようとすればできるかも知れませんが、それは苦しく、とても淋しいことです。18節の本当の意味を知るために大切なことは、4-7節の成り立ちと、15節からのつながりです、「主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」」。だからこそ、主なる神は言われます。「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」と。素敵なエデンの園に連れてこられました。何のため? そこを耕し守るためにです。 (1)その土地を耕し守って生きる、という大切な働きと役割。(2)すべての木から取って食べなさい、とあまりに気前よく恵みと祝福を与えられました。(3)ただし、『これだけはしてはいけない。慎んで留まれ』と戒めも与えられて。つまり、働きと役割。祝福と恵み。そして『これだけはしてはならない』という戒め(15,16,17)。しかも土の塵で造られた私たち人間はあまりに不完全で、弱く愚かでした。意固地になり、独り善がりになりました。だからです。だからこそ、人が独りでいるのは良くない。独りでは、その土地を耕して守るという大きな重い務めを担いきれないからです。独りでは、あまりに気前よく与えられた祝福と恵みを本当に嬉しく喜び祝うことができないからです。独りでは、『これだけはしてはいけない。ダメだよ、止めなさい』という戒めのうちに身を慎んで留まることなどとうていできないからです。もし、その人を助けてくれる者がいてくれるならば、その人は、たとえあまりに不完全で、ひどく未熟だとしても、たびたび意固地になり、独り善がりになってしまいやすいとしても、それでもなおその土地を耕して守りながら生きることができます。もし助ける者がいてくれるなら、その人は祝福と恵みを十分に受け取って、「こんなに良いものを私なんかがいただいていいんですか。本当ですか。ああ嬉しい。ありがとうございます」と喜び祝い、感謝にあふれ、神さまからの祝福のうちに生きて死んでゆくこともできるでしょう。

 あなたのためにも、ふさわしい助け手が用意されてあります。その人たちを何としても探し出し、見つけて、いっしょに生きることをしはじめたいのです。