7/25 こども説教 使徒行伝28:1-6
『この人は神だと言い出した』
28:1 わたしたちが、こうして救 われてからわかったが、これはマルタと呼ばれる島であった。2 土地の人々は、わたしたちに並々ならぬ親切をあらわしてくれた。すなわち、降りしきる雨や寒さをしのぐために、火をたいてわたしたち一同をねぎらってくれたのである。3 そのとき、パウロはひとかかえの柴をたばねて火にくべたところ、熱気のためにまむしが出てきて、彼の手にかみついた。4 土地の人々は、この生きものがパウロの手からぶら下がっているのを見て、互に言った、「この人は、きっと人殺しに違いない。海からはのがれたが、ディケーの神様が彼を生かしてはおかないのだ」。5 ところがパウロは、まむしを火の中に振り落して、なんの害も被らなかった。6 彼らは、彼が間もなくはれ上がるか、あるいは、たちまち倒れて死ぬだろうと、様子をうかがっていた。しかし、長い間うかがっていても、彼の身になんの変ったことも起らないのを見て、彼らは考えを変えて、「この人は神様だ」と言い出した。
(使徒行伝28:1-6)
神さまが約束してくださったとおり(使徒27:24)に、舟に乗った全員がマルタという島に無事に上陸できました。土地の人々も親切にしてくれました。焚火にあたっていたとき、パウロさんは恐ろしく強い毒を持った蛇に噛まれました。するとその土地の人々は、「せっかく嵐の海から生き延びることができたのに蛇に噛まれるなんて、きっと人殺しか、とんでもない悪者に違いない。神さまからの罰を受けたのだろう」と考えました。けれど、いくら待ってもパウロは元気で、死にそうな様子が少しもありません。6節、「彼らは、彼が間もなくはれ上がるか、あるいは、たちまち倒れて死ぬだろうと、様子をうかがっていた。しかし、長い間うかがっていても、彼の身になんの変ったことも起らないのを見て、彼らは考えを変えて、『この人は神様だ』と言い出した」。私たち人間は皆、神ではないものをこうやってなんでも神のように拝んだり祭り上げることが得意です。それは神に対してとても恩知らずなせいで、神の栄光をほめたたえるかわりに、その栄光を他のものにすりかえてしまいやすいからです。ですから大人も子供も、うっかり心を迷わせてしまわないように、よく気をつけていなければなりません(使徒3:12,同4:10-12参照)。教えられて習い覚えてきたとおりに、拝んだり、十分に信頼を寄せつづけて良い相手は、ただ神さまだけだからです。