5/2 こども説教 使徒行伝26:9-11
『迫害者だった私に』
26:9 わたし自身も、以前には、 ナザレ人イエスの名に逆らって反対の行動をすべきだと、思っていました。10 そしてわたしは、それをエルサレムで敢行し、祭司長たちから権限を与えられて、多くの聖徒たちを獄に閉じ込め、彼らが殺される時には、それに賛成の意を表しました。11 それから、いたるところの会堂で、しばしば彼らを罰して、無理やりに神をけがす言葉を言わせようとし、彼らに対してひどく荒れ狂い、ついに外国の町々にまで、迫害の手をのばすに至りました。(使徒行伝26:9-11)
キリスト教の信仰の中身を知らせようとして、彼はまず、その神と自分との出会いを、自分自身の信仰の出発点を打ち明けます。救い主イエスに逆らっていた私だ。神を信じる多くのクリスチャンを苦しめたり、いじめたり、牢獄に閉じ込め、ひどい目にあわせてきた私だ。彼らを殺すことにも賛成して、その手伝いもしてきた私だと。とても悪い人間だったその私が罪をゆるされ、神の恵みを証しする証人とされたと。だれでも悪い心をもっており、神さまは、私たちの罪や悪い心や行いをゆるしてくださる、思いやり深く、あたたかい心の神さまだからです。こどものための信仰問答は、このように説明しています。「あなたはすでに救われていますか」「はい、救われています」「どうしてですか。あなたは罪人ではないのですか」「はい。わたしは罪人ですし、いまも神に背きますが、主イエスを信じる信仰によって、ただ恵みによって救われているからです」「神は正しいかたで、罪を憎むのではありませんか」「そのとおりです。神は罪を憎みますが、罪人であるわたしたちを愛することを決してお止めになりません」(「当教会のこども交読文」から。ローマ手紙3:21-28,同5:5-11,ヨハネ福音書3:16,テモテ手紙(1)1:12-17,創世記4:1-15 ,同8:20-22,申命記31:8を参照)。