9/15 こども説教 使徒行伝11:27-30
『飢饉が起こって』
11:27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケにくだって きた。28 その中のひとりであるアガボという者が立って、世界中に大ききんが起るだろうと、御霊によって預言したところ、果してそれがクラウデオ帝の時に起った。29 そこで弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに援助を送ることに決めた。30 そして、それをバルナバとサウロとの手に託して、長老たちに送りとどけた。
(使徒行伝11:27-30)
嬉しいこともあるし、嫌なことや困ったこともあります。不思議なことに、ときどき、とても困って苦しくて嫌で嫌で仕方がないとき、その最中に、嬉しいことが起きたり喜んだりすることもあります。
神を信じて生きるクリスチャンたちが乱暴されたり、苦しめられたりしました。追い払われて、たくさんのクリスチャンたちが遠くの国へとバラバラに逃げていきました。けれど、おかげで、それまで神さまのことを知らなかった人たちも神を知り、信じて生きる人たちが起こされました。同じように、世界中に大きな飢饉が起こるだろうと言われて、そのとおりになりました。困ったことや苦しく辛いことも、それだけではなく、良いことを持ち運んで来る場合もあります。全部が全部そうだとはっきり言いきることはできません。けれども、神さまの救いの計画の中で、そういうことがとても良いことのために使われることも度々あります(注)。
29節、「そこで弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに援助を送ることに決めた」。飢饉が起こって、食べるものもなくて困っている仲間たちを助けようと、お金や品物が集められました。そこでも、神さまの力が働いていました。
(注)【補足/飢饉や飢え渇くことの贈り物】
アブラハムとサラ夫婦が神の約束のもとに生きはじめた頃、「やがてエジプトで400年の間、奴隷にされて苦しみ、その後で救い出される」(創世記15:13-16参照)と予告されていました。もちろん約束どおりになりました。彼らをエジプトに移住させるために、神は7年の大豊作、その後の7年の大飢饉を起こし、それを救いの計画のために使いました(創世記41-50章)。
エジプトから救い出されて、イスラエルの民は荒野で辛い飢え渇きを味わいます。モーセがその日々を先祖と私たちに振り返らせて、こう語りかけます、「あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。……あなたは食べて飽き、あなたの神、主がその良い地を賜わったことを感謝するであろう」(申命記8:2-10)。
預言者エリヤは神への信頼を見失って、その信頼を再び取り戻すために神の山ホレブへと逃げ出します。40日40夜の逃避行です。飢え渇き、気力も失せて、彼が死を願ったとき、パンと水が与えられ、主の御使いが語りかけます、「起きて食べなさい。道が遠くて、あなたには耐えられないだろうから」。ホレブ山で、彼は再び信仰を回復させられます(列王記上19:1-18)。
救い主イエスご自身が、聖霊なる神の導きのもとに、同じ飢え渇きを体験させられます(ルカ福音書4:1-13)。40日40夜、荒野をさまよいながら。そして悪魔の3つの誘惑を退けました。聖霊の導きのもとに置かれつづけていたからです。私たちも同様です。苦難や試練と共に、それだけでなく助けや支えがあり、「心の中に何があるのかを確かめられ」、神に信頼して生きることを実地訓練で学ばせられつづけます。