9/23 こども説教 ルカ24:33-43
『私の手足を見なさい』
24:33 そして、すぐに立ってエルサレムに帰って見ると、十一弟子とその仲間が集まっていて、34 「主は、ほんとうによみがえって、シモンに現れなさった」と言っていた。・・・・・・36
こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。〔そして「やすかれ」と言われた。〕37 彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。38 そこでイエスが言われた、「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。39
わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。40 〔こう言って、手と足とをお見せになった。〕41 彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが「ここに何か食物があるか」と言われた。42 彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、43 イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた。
(ルカ福音書24:33-43)
主イエスが彼らの中に立ったので、弟子たちは恐れ驚いて、お化けでも見ているのかと疑いました。そう言えば、湖の上で弟子たちが困っていたときその湖の上を歩いて小舟のところまで主イエスが来てくださったときにも、彼らは同じように、恐れたり驚いたり、お化けじゃないかと疑ったりしていました(マタイ14:22-,マルコ6:45-)。38節で、「なぜ恐れたりおじけたり、疑っているのか」と主イエスは弟子たちにわざわざ質問しています。ちゃんと信じていないから、だからオロオロしているのだと知らせるためです。だから、わざわざ来てくださいました。ご自分が復活なさったことを、この弟子たちにもよくよく分からせてあげて、ちゃんと十分に信じることができるようにしてあげるために。安心して、晴れ晴れ暮らしていくことができるようにしてあげるためにです。39節で、「わたしの手や足を見なさい」と言って、ほら手足に触ってみなさい。魚を食べるところも、わざわざ見せてあげました。ありもしないデタラメや絵空事などではなく、本当に墓からよみがえったと信じさせるために(なかなか信じられなかった疑い深いトマスにも、「わたしの手とワキ腹に触ってみなさい。ほらほら」と、わざわざ触らせようとしました。後で別の弟子も「わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手で触ったもの」について告げ知らせると言います。ヨハネ福音書20:24-29,ヨハネ手紙(1)1:1参照)。もし、生きて働いておられる神を本当に十分に信じることができなければ、どうなるでしょう。いつまでたっても、ほんのちょっとしたことで驚いたり怖がったり、ビクビクオロオロしつづけて虚しく生きて、やがて物淋しく心細いままで死んでいく。それじゃあ、あんまり可哀想だからです。
【補足/神への信頼】
「全信頼を神におくこと。その御意志に服従して、神に仕えまつること。どんな困窮の中でも神に呼ばわって、救いとすべての幸いを神の中に求めること。すべての幸いはただ神から出ることを、心でも口でも認めること」(「ジュネーブ信仰問答」(1542年),問7-13参照)ができる私たちとされます。神さまからの憐れみの約束です。