2018年7月30日月曜日

7/29こども説教「罪がないままに」ルカ23:13-25


 7/29 こども説教 ルカ23:13-25
 『罪がないままに』

23:18 ところが、彼らはいっせいに叫んで言った、「その人を殺せ。バラバをゆるしてくれ」。19 このバラバは、都で起った暴動と殺人とのかどで、獄に投ぜられていた者である。20 ピラトはイエスをゆるしてやりたいと思って、もう一度かれらに呼びかけた。21 しかし彼らは、わめきたてて「十字架につけよ、彼を十字架につけよ」と言いつづけた。22 ピラトは三度目に彼らにむかって言った、「では、この人は、いったい、どんな悪事をしたのか。彼には死に当る罪は全くみとめられなかった。だから、むち打ってから彼をゆるしてやることにしよう」。23 ところが、彼らは大声をあげて詰め寄り、イエスを十字架につけるように要求した。そして、その声が勝った。24 ピラトはついに彼らの願いどおりにすることに決定した。25 そして、暴動と殺人とのかどで獄に投ぜられた者の方を、彼らの要求に応じてゆるしてやり、イエスの方は彼らに引き渡して、その意のままにまかせた。(ルカ福音書23:18-25

  ローマの法律に照らしても、ユダヤの法律に照らしても、主イエスには死に当たるどんな罪も見つけることができませんでした。14-16節と22節と、2回も繰り返してピラトは「罪がないからイエスをゆるそう」と人々に語りかけます。けれど「イエスを十字架につけて殺すように」という人々の声が勝って、それでピラトは人々の願い通りにするというのです。法律も道理も押しのける、でたらめな裁判です。法律よりも道理よりも人間たちの気持ちや声が勝ってしまうなら、それはとても悪いでたらめな社会です。ほんの数日前に、主イエスを大喜びで迎え入れた人々が、今度は手のひらを返すように、「十字架につけろ、十字架につけろ」と大声で叫び立てています。その声はますます大きく激しくなってゆきます。一番権威があって偉いはずのピラトが、人々の心を恐れて、まわりの人々の顔色をうかがって、その人たちの気に入ることをしようとしています。間違っていると自分でも気づいていることを。まわりにいる人間たちを何より恐れて、人間たちこそが一番恐ろしいと思い込んでいる人々は、その人間たちの奴隷のように、言いなりに従って生きるほかありません。それは、淋しく虚しい生き方です。しかも、神に逆らう人々を憐れんで救うために、神ご自身がこの出来事を成し遂げようとしています。法律にも道理にもかなわない悪い人々の手に、救い主イエスの生命が手渡されようとしています。罪がないままに、この私たち罪人の救いのために、救い主イエスが罪人として殺されようとしています。なんということでしょう。

   【補足/人間たちへの恐れと信頼】
    これらは表裏一体です。神を知らず、自分自身と人間たちを信頼したり恐れる他ないなら、私たちは右往左往しつづけて、絶望するほかありません。「神に聞き従うよりもあなたがたに聞き従う方が正しいかどうか、判断してもらいたい」「人間に従うよりは、神に従うべきである」(使徒4:19,5:29)。