2018年1月9日火曜日

1/7こども説教「神殿で祈る2人」ルカ18:9-14

 1/7 こども説教 ルカ18:9-14
 『神殿で祈る2人』

18:9 自分を義人だと自任して他 人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。10 「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。11 パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します・・・・・・』。13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。14 あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。      
(ルカ福音書 18:9-14

  自分こそは正しくて信仰深い人間だと自惚れて他人を見下している人のために、主イエスはたとえ話でお話になりました。二人の人がそれぞれ神殿に来て祈りました。一人はパリサイ人で、とても正しくて信仰深いと人にも思われ、自分自身でもそう思い込んでいる人です。もう一人は取税人で、人々から見下されつづけている人でした。パリサイ人の祈りとその心の間違いは小さな子供にもよく分かります。こんなに自分は偉いんだと自慢して人を見下すばかりで、神への感謝が少しもないからです。取税人は神さまに申し訳なくて顔向けできないと思って神殿の入口の隅に立って、神さまに向かって顔をあげることも目を向けることもできずに、胸を打ち叩いて祈りました。「神さま。罪人のわたしをおゆるしください」。14節の主イエスの言葉に聞きましょう、「あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。そのとおりです。自分を恥じて惨めな気持ちになっているこの取税人に、自分の家に帰る途中か、どこかで誰かが、いつか大切なことをこの人にも伝えてあげられるといいですね。「神さまは、あなたをゆるしてくださっているし、あなたを迎え入れようと待ち構えておられる。神さまは、あなたのことを大切に思って、大好きでいてくださる。だから、あなたはいつもいつも顔を上げて暮らしていいんです。本当ですよ」と。


   【補足/2種類の良い手本】
ここに、私たちが信仰をもって生きるためのよい見本があります。取税人のように心細そうで惨めな人たちが目の前にもいます。しばしば私たち自身が、あの彼のようです。けれど私たちは、神がこの小さな1人の人と私たちをさえ憐れんでくださったと知っています。いつ、どこで、どんなふうにして、その憐れみは示され、はっきりと差し出されたでしょうか。ローマ手紙5:6-11