2018年1月16日火曜日

1/14こども説教「神の国に入るための条件」ルカ18:15-17

 1/14 こども説教 ルカ18:15-17
 『神の国に入るための条件』

18:15 イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちはそれを見て、彼らをたしなめた。16 するとイエスは幼な子らを呼び寄せて言われた、「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。17 よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。                  (ルカ福音書 18:15-17

  「小さな子供たちを私のもとに来させなさい。邪魔してはいけない」と主イエスが確かに言いました。けれど、主イエスも、神が生きて働いておられる神の国も、もっぱら小さな子供たちのためにあるとか、お子様ランチなどのように、小さなお子様向けの神様だというわけではありません。じゃあ、どうしてこんなことを言うんでしょうか? 例えば、「こらア、つまみ喰いしちゃいけませ~ん」とお母さんが恐い顔を睨んでいます。どういう場面か分かるでしょう。誰かが、そおっと、つまみ喰いしようとしています。そんなふうに、もし主イエスが「邪魔しちゃダメですよ。ほらほら、小さな子供たちを私のところに来るままにしておきなさい」。それは、「どこかヨソへ行きなさい。シッシ」と、子供たちを迷惑そうに追い払おうとする大人たちがすぐ目の前にいるからです。あの弟子たちだけではなく、その当時のほとんどの大人たちが勘違いをして、そういう悪い態度を取っていました。小さな子供たちが邪魔者扱いされて、神さまの前から追い払われようとするようなとても悪い時代だったのです。もちろん、大人も年寄りも分け隔てなく皆を主イエスが招こうとしておられるし、神のお働きの只中へと入らせてあげたいと誰に対しても願っておられます。
その上で、「神の国は子供のような小さな者たちのためにある」と仰り、17節で「誰でも小さな子供のようにならなければそこに入ることは決して出来ない」と言われたことを、よくよく考えてみなければなりません。へりくだった低い心です。例えば、小さな子供が父さん母さんによく信頼しているように、神さまによく信頼して、神さまにこそよく聞き従うことです。そのためには、「私はよく知っている。何でもできるし、強くて大きいぞオ」と大きな大人のつもりでいると、神の国には決して入れない。神さまと出会うことも、そのお働きを知ることもできないと厳しく注意されています。このことが、とても大切です。


【補足/幼な子のようになる】
      ただ小さくて無力で弱くて危うい存在であるだけではなく、精一杯に十分に愛情を注がれ受け取り、養い育てられてきた、そのことを覚えている幼な子である必要があります。「幼な子のようにならなければ天国に入ることはできない」、その最も大きな秘密は、わが子を愛して止まない親の心を覚えている幼な子です。主イエスこそが、わが子を愛して止まない親の心を覚えている幼な子であることの手本を、それがいったいどういうことであるのかを、私たちに見せ、差し出してくださいました。十字架にかかる前の晩、ゲッセマネの園で。「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」(マルコ14:36)と。受け取った恵みの大きさに比べて、私たち自身は小さい。受け取った恵みの豊かさに比べて、私たちはとてもとても貧しい。恵みの賢さ、力強さに比べて、私たちはあまりに愚かであり、弱々しく、その恵みにまったく値しない者たちであると。値しないにもかかわらず、それなのに受け取った。だから、ただただ恵みなのだと。分かりますか?