2017年5月29日月曜日

5/28こども説教「主イエスを拒む者を?」ルカ12:8-12

 5/28 こども説教 ルカ12:8-12
 『主イエスを拒む者を?』

12:8 そこで、あなたがたに言う。だれでも人の前でわたしを受けいれる者を、人の子も神の使たちの前で受けいれるであろう。9 しかし、人の前でわたしを拒む者は、神の使たちの前で拒まれるであろう。10 また、人の子に言い逆らう者はゆるされるであろうが、聖霊をけがす者は、ゆるされることはない。11 あなたがたが会堂や役人や高官の前へひっぱられて行った場合には、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しないがよい。12 言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださるからである」。       (ルカ福音書 12:8-12

  父なる神、子なる神イエス・キリスト、そして聖霊なる神。一つ思いになって働く、この三つの神を私たちは信じています。聖霊なる神はとても大切な働きをします。主イエスがどんなかたで、何をしてくださるのかを教え、主イエスを信じさせ、信じて生きることがどういうことなのかも一つ一つ手取り足取り教えてくださるのも皆、聖霊なる神さまです。ですから、そのお働きに信頼したり期待し、願い求めることができなければとても困ります。「聖霊を汚す者はゆるされない」10節)とは、そういうことを伝えようとしています。さて「人の子」、つまり救い主イエスを人の前で拒む者は神さまからも拒まれる9節)。もちろんそうです。これは正しい答えです。ただ心の中でだけ主イエスを信じて、人前では「いえいえ信じてません。主イエスなんてどうでもいいですよ」などと言うクリスチャンがもしいたら、もちろん主イエスからも「この人とは何の関係もありません」と知らんぷりされる。当たり前です。
  けれどこの正しい答えよりも、その千倍も万倍も主イエスは思いやり深く、とてもとても心やさしい救い主です。しかも、できないことは何一つない救い主。主イエスを拒む者も、言い逆らう者も共に、もしそのまま放置されてしまうなら 福音と救いの恵みをすっかり受け取り損ね、ただただ罪と悲惨の真っ暗闇に取り残されるばかりです。「知らない知らない。何の関係もない」とご自分を人前で拒んだペテロを、主イエスはどうしたでしょう。「そんなことあるものか。絶対に信じない」と言い張ったトマスを、主イエスはどうしたでしょう? その頑固さ、疑い深さ、自分自身の狭い考え方・モノの見方、臆病で生ズルい心を力ずくでねじ伏せ、ねじ曲げてあげました(マタイ16:21-27「サタン引き下がれ」,26:69-75「そんな人は知らない」,ヨハネ20:24-29「あなたの指を~」,21:15-19「わたしを愛するか、愛するか、愛するか」)。主イエスを信じて、素直に従って生きる者に造り変えてくださいました。びっくりです。


    【補足/罪人をゆるして救う神】
         私たち人間のいつもの考えと、神の考えややり方はずいぶん違います。そのことを、よくよく弁えておかねばなりません(イザヤ書55:8-9,コリント手紙(1)2:9)。正しい人、信仰深く、神に素直に従って生きる心清らかな人をこそ救おうと思ったら、誰もが皆、落第でした。そんな人は一人もいないのです。神に逆らう、疑い深い、頑固でワガママで身勝手で、意地の悪い人間を救おうと神は決断なさったのです。罪人を憐れみ、その罪をゆるし、罪から救い出してくださる神です(創世記8:21-22,ローマ手紙3:9-27,5:6-11,11:30-36,テモテ手紙(1)1:13-16)。