2017年5月2日火曜日

4/30こども説教「あの彼らは悔い改めた」ルカ11:29-32

 4/30 こども説教 ルカ11:29-32
 『あの彼らは悔い改めた』

11:29 さて群衆が群がり集まったので、イエスは語り出された、「この時代は邪悪な時代である。それはしるしを求めるが、ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。30 というのは、ニネベの人々に対してヨナがしるしとなったように、人の子もこの時代に対してしるしとなるであろう。・・・・・・32 ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。(ルカ福音書 11:29-32)

 「ソロモンにまさる者。ヨナにまさる者」31,32節)って誰のことですか。救い主イエスのことです。救い主イエスによって、また神の働き人たちによって、神さまご自身の知恵や、神の救いの計画が、告げ知らされつづけてきました。
 ケンちゃん。昔々、自分勝手で意地悪で乱暴で、人をいじめたり困らせたりエンエンって泣かせたりする悪い悪い人たちが住んでいる町がありました。ニネベという名前の町です。神さまから命じられて預言者が来て、「悪者ども、神さまはとても怒っているぞお。お前たちが毎日毎日やっているその悪いことをやめないと、神さまがお前たちを滅ぼしてしまうぞ。それでもいいのか」って。そしたら、その町の人たちは心を入れ替えて、自分勝手で意地悪で乱暴で人をいじめたり困らせたりエンエンって泣かせたりすることをキッパリ止めました。もちろん神さまは心の優しい神さまですから、その悪者たちをゆるしてあげました(ヨナ書3:1-4:2参照)
  「しるしを見せてくれたら信じてやろう」という人々が、主イエスの時代にも今の時代にもたくさんいます。でも、それはただの言い訳でした。だって、神さまの働き人たちがあの預言者と同じことを知らせつづけてきたからです。「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と救い主イエスもいいました。主の弟子たちも、「悔い改めて信じなさい。悔い改めて信じなさい」と語りかけつづけているからです。神さまへと心を向け返して、耳を傾けることが誰にでもできるからです。もし、そうしたいと願うなら。



   【補足/不信仰な者を憐れむ神】
「しるしを与えない」という言葉と裏腹に、実は、神は山ほどのしるしを次々と贈り与えつづけ、信じて生きるためのしるしと手立てで私たちを幾重にも取り囲みつづけます。疑い深いトマスのためにも、わざわざ出かけてきてくださって、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と熱心に勧めてくださったように(創世記12:10-20,17:15-19,18:9-15,20:1-18,26:6-11,士師記6:17-40,ヨハネ福音書20:24-29)。どうしてでしょうか? 「わが主よ、わが神よ」とひれ伏すことができたらどんなに幸せかと、神はこの私たちをも深く憐れむからです。右も左もちっとも弁えない者たちを、神に背きつづける者たちを、けれど滅びるままに捨ててはおけないと。惜しくて惜しくて、あまりにもったいないと。ああ。