2017年5月21日日曜日

5/21こども説教「スズメ一羽、草一本と同じに」ルカ12:4-7

 5/21 こども説教 ルカ12:4-7
 『スズメ一羽、草一本と同じに』

12:4 そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。5 恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。6 五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。7 その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。
(ルカ福音書 12:4-7

 チョー難しい、とても分かりにくい聖書箇所です。どういう神さまか、どういう私たちか、どういう救いか。神を信じて、どこにどう辿り着くのか。そういうことを、よく習い覚えてきた人でなければ、うっかり間違って、迷子になってしまいます。
  まず、小さな誤解のタネを取り除いておきましょう。7節の終わり、「あなたがたは多くのスズメよりも優った者である」。だから、それだけいっそう確かに、神さまからの支えや守りや救いを期待し、確信してよいのか? いいえ、違います。よくよく習い覚えて、骨身にしみて分かっている救いの道理はまったく違う神さまの御心を教えつづけていました。優れているか劣っているか、いくらの値段がつけられているか、強いか弱いか大きいか小さいか、とても役に立つかそうでもないか、賢いかあまり賢くないか。そんなことと神さまからの助けや支えや救いとはなんの関係もありません。ただただ憐れんで可哀想に思い、愛してくださり、だから恵みに値しない罪人をゆるして救う神さまです。しかもその一つ一つの生命は神さまご自身が造ってくださり、そのとき「とても良い」と大喜びに喜んでくださり、愛して大切に思いつづけていてくださる。理由はそれだけです(創世記1:31-2:3,9:1-17,ローマ手紙3:21-27,5:6-11,11:30-32,テモテ手紙(1)1:12-16。カラスやスズメ一羽に負けず劣らず、名も知られない野の草花の一本一本と同じだけ、この私たち一人一人も、神さまからの支えや守りや救いを期待し、確信してよい。髪の毛一本一本まで数え、何から何までご存知の上で、大切に取り扱ってくださる。やがてハゲ頭になりシワシワ顔になり、腰が曲がって目も耳も衰え、物忘れがひどくなったあとでもそれでも同じく変わらず、スズメ一羽や草一本とまったく同じに愛して、とても大切に持ち運びつづけてくださいます。


   【補足/人を見て法を説く神】
    (1)では、なぜ6-7節のような紛らわしいことを言うのか? 「優れているか劣っているか、いくらの値段がつけられているか、強いか弱いか大きいか小さいか、とても役に立つかそうでもないか、賢いかあまり賢くないか」;それこそ、小さな子供の頃から身にしみて習い覚えさせられてきた『人間中心のモノの考え方』だからです。そういうふうに生きてきたし、そういうふうに扱われつづけ、そういう社会に暮らしています。けれど、私たち人間の考えと、神の考え方はずいぶん違う。神を知り、神を信じるためには、考え方を180度グルリと向け返し、すっかり切り替えねばなりません(イザヤ書55:8-9,コリント(1)2:9
(2)マタイ福音書 6:25-34などを土台として、『どんなに小さい小鳥でも』(讃美歌2160番,こどもさんびか58番)は歌います――
1 「どんなに小さい小鳥でも 神さまは育ててくださる」って
  イエスさまの お言葉。
2 「名前も知らない野の花も 神さまは咲かせてくださる」って
  イエスさまの お言葉。
3 「良い子になれない私でも 神さまは愛してくださる」って
イエスさまの お言葉。
「小鳥、野の花、わたし」と見比べながら、すべての生き物たちへの神の愛の中身を思いめぐらせています。しかも、救い主イエス直伝で。すべての生き物を思い浮かべながら、やはり、神を信じて生きる自分自身の希望の中身を考えています。優れているか劣っているか、いくらの値段がつけられているか、強いか弱いか大きいか小さいか、とても役に立つかそうでもないか、賢いかあまり賢くないか」などという価値判断を度返しして それらとはまったく無関係に、神は育て、咲かせ、愛してくださる。ただただ恵みによってだけ、そうしてくださる。とくに3節で、「良い子になれない私でも、神は愛してくださる」の真意は、自分自身では良い子になれないとしても、神がそのような私をさえも愛し、育て、咲かせてくださる。そこに信頼しているし、希望を託しています。考えてみましょう。もし仮に、「良い子になれなくてもいい。一生涯ずっと、自分勝手でワガママで、意地悪で、ずる賢い極悪人のままでいいよ」と言われているのだとしたら、あなたは嬉しいですか? 違いますね。神の愛は、真実で力があり、人間の現実や限界を打ち破るのです。できないことは何ひとつもない神ご自身の真実と力と、生きて働かれることに、すっかり信頼を寄せています。分かりますか?

      (3)親のような神、親である神です。自分の子供をどのように愛するか? 親の言うことをよく聞く良い子だから、手伝いもするから、勉強もできて賢い子だからと愛するのではありません。お腹を痛めて産み、苦労して苦労して養い育て、喜びも辛さも分けあって一緒に暮らしてきた、わが子だからと愛する。そういう親である神です(マルコ福音書 14:36,ローマ手紙8:14-17「子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ父よ』と呼ぶのである」,申命記8:2-5