3/5 こども説教 ルカ10:38-42
『たった1つしかない良いものを』
10:38 一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。39
この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。40 ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。41
主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。42 しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。 (ルカ福音書 10:38-42)
ケンちゃんよ、ケンちゃんよ。主イエスには仲良しのともだちがたくさんいるんだけど、その日は、マルタさん、マリヤさん、ラザロくんという3人兄弟の家に来てくださいました。でも、遊びにきたんじゃないんだよ。神さまがどういう神さまで、どんな素敵なことをしてくださるのか。神さまを信じたら、どんなに嬉しく安心して暮らしていくことができるのかを教えてあげるために、そのために来ました。たまたまラザロくんは留守で、とても残念でした。
せっかくわざわざイエスさまが来てくださって、姉さんのマルタはすごく嬉しく思いました。それでイエスさまに喜んでもらおうと精一杯におもてなしの用意をしました。部屋中をピカピカに掃除して、きれいに片付けて、お茶やお菓子の用意をして、おいしい料理もあれこれたくさん作って、それからそれから。がんばりすぎて働くうちにくたびれてくたびれて、へとへとになり、なんだかイライラして寂しくて悲しくてムシャクシャもしてきました(*)。だあって、誰も手伝ってくれないんです。「イエスさま、なんとも思わないんですか。私だけに働かせて。妹のマリヤに、こらあ手伝いしなさいって、厳しく叱りつけてやってください」。主イエスはおっしゃいました。「マルタよマルタよ、あなたは多くのことに心を配って、心がバラバラに引き裂かれて困っている。無くてならぬものは1つだけ。神さまの話をよく聞いて、分かって、神さまを信じて生きることですよ。あなたは他のいろいろを選んだけど、妹のマリヤはそのたった1つしかない良いものを選んだ。・・・・・・じゃあ、あなたも、(どうしてもと無理には勧めないけど)もし良かったら、そのたった1つしかない格別に良いものを選んだらいいじゃないか。どうだい?」
【補足/マルタ病の治療指針】
(*)あの彼女は、とても重い病気にかかっていました。いろいろのもてなしのために忙しく立ち働いて、多くのことに思い悩み、心を乱し、心を引き裂かれてしまう。これを、『マルタ病』というのです。この病気は命にかかわります。急速に症状が悪化して、放って置くと死んでしまいます。この病気によって、『神さまがどんな神さまなのか。私たちをどれほど愛していてくださり、どんなに大切に扱ってくださるのか』が日に日に分からなくなります。信仰がみるみるやせ衰え、ついに喜びも慰めも希望も死に絶えてしまう。恐ろしいことです。あの骨惜しみしない善良な彼女は、主の慈しみの只中に生きるはずのあの彼女は、あやうく死んでしまうところでした。
ですから、プンプン怒って主イエスのもとへ近寄っていったとき、彼女は、緊急遭難信号のSOSを発信し、助けを求めていたのです。ちょうど溺れそうな人がバタバタと水面を打ちたたくように。手足を無我夢中で振り回すようにして。主イエスは彼女のSOS信号に答えて、断固としておっしゃる、「必要なことはただ一つだけだ」(42節)と。この猛烈に苦い薬だけがマルタを救う。この苦い薬だけが、マルタ病にかかったすべての人を救うことができる。飲みづらくても苦くても無理矢理にも飲み下して、そして主の足元に座り、耳を傾けること。詩127編です。『主ご自身が建て、守る。そうであるならば、その限りにおいて家は建ち、町は守られる』。神からのこの絶対条件を私たちがうっかり忘れてしまうとき、いとも簡単に、神の祈りの家であることも一個のキリスト者であることも崩れ去ってしまいます。一つのキリスト教会も、一人のクリスチャンの生涯も、一握りの家族も。その家庭の一日一日の営みも。