2017年3月25日土曜日

3/19こども説教「わたしたちの日毎の食べ物を」ルカ11:3

 3/19 こども説教 ルカ11:3
 『わたしたちの日毎の食べ物を』

わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。
(ルカ福音書 11:3

 主イエスが教えてくださった『主の祈り』を少しずつ読み味わっています。弟子たちは主イエスが祈っている姿をいつもいつも見ていました。「ああ、あんなふうに私たちも祈りたいものだ」。教えてくださいと弟子たちは願い出、主イエスは教えてくださいました。
  ケンちゃん、朝ごはんは何を食べたかな。ご飯を食べるときに、お祈りもしたのかな。「食べ物を」と言ったら、ヨソでは食べ物のことです。けれどそここでは、ただ食べ物のことばかりではないんです。私たちが毎日毎日、安心して嬉しく生きてゆくために必要なすべて全部を、という意味です。それらすべて全部を、父なる神さま、あなたこそが毎日毎日私たちに恵み与えてください。あなたから受け取って、あなたに感謝し、あなたに信頼して生きる私たちとならせてください。「このように祈りなさい」とわざわざ主イエスから命令されているのは、このように心得て毎日毎日を暮らすことがとても難しいことだからです。難しいけれど、とてもとても大切なことことだからです。
  だってね、そう命じられて、いつもいつも祈っているくせに、そうは思っていないクリスチャンがたくさんいるらしいんですよ。じゃあ、どんなふうに思っているかというと、『私たちが毎日毎日、安心して嬉しく生きてゆくために必要なすべて全部を、この自分が、自分の力と努力で手に入れている』とか、『うちの父さん母さんが毎日汗水流して苦労してがんばって働いてくれて、それで生活費も食費も稼いでくれている。やっぱり、父さんと母さんのおかげだ』などと。じゃあ、神さまに何をどう助けてもらってるんですかと質問すると、その人たちは、「別に。たいして何もしてもらっていない」などと知らんぷりしています。だからです だから、その人たちはたびたび淋しい悲しい気持ちになり、なんだか物足りないような、心配で心細いような気持ちになります。だから、たびたび自惚れすぎて、人をバカにしたり怒ったりもしてしまいます。困りました。父さん母さんや私たちそれぞれの働きをも大切に用いてくださっているとしても、そのうえでなお、私たちが生きてゆくために必要なすべて全部を、父なる神さまが恵み与えてくださっている。この肝心要を、この私たちも、はっきりと思い出せるといいですね。いつもいつも覚えていられると、とても幸せです。



    【補足/神への信頼】
    もし仮に、家では父さん母さんが家庭を支え、教会では牧師や長老や私たち自身が教会をささえ、維持し、守っていると思うなら、この私たちはすっかり心得違いをしています。神ご自身のお働きを現実的に具体的に思い描くことも、そこに信頼を十分に寄せることもできないなら、その人はいつの間にか人間中心の考え方に陥って、そこに深く囚われてしまっているかも知れません。信仰をもって生きることの大きな危機がそこにあります。

この教会のホームページに掲載中ですが、『キリスト教の中身が分かるコース』では、この祈りについてこう説明しています。問37「『われらの日用の糧を今日も与えたまえ』という願いは何ですか」「私たちが自分にとって無くてはならないものしか欲しがらず、欲張らないためです。また無くてはならないすべて一切を、ただ神さまからこそ受け取ろうと期待するためにです」。
ここでも最重要のポイントは、やはり天の御父への信頼です。願うなら、そうなる。願わないなら、そうはならない。自分自身でも、親兄弟や友だちやほかの人間たちやモノでも、それらへの信頼はほどほどのことで、あまり当てにできません。けれど神に十分に信頼を寄せて生きられるなら、とても安心です。そうではないなら、心細くて、いろいろなものが恐ろしく感じられて、ビクビクオドオドしながら暮らすことになるでしょう。臆病にもなり、意地悪にもなり、ひがみっぽくもなるかも知れません。神への信頼は、朝昼晩の食べ物のようなささいなことから始まります。出エジプト記16章を読みましたね。12節)「あなたがたは夕には肉を食べ、朝にはパンに飽き足りるであろう。そうしてわたしがあなたがたの神、主であることを知るであろう』。肉を食べ、パンに飽き足りて、そうして『主が主であることを知る』であろうと。つまり逆に言えば、そうでなければ、いつまでたっても、主を信じることも、信頼を十分に寄せることも感謝することも、主によくよく聴き従うこともできないままだろうと。そのとおりです。だからこそ、不平不満を並べつづける神の民を集めて、神さまはきびしく叱るわけでもなく、懲らしめるわけでもなく、「それじゃあ、肉もパンもたっぷりと食べさせつづけよう。神を信じない者ではなく、信じるあなたがたになりなさい。いいえ この私こそが、ならせてあげよう」と。
  そのようにして、神さまへの十分な信頼と感謝がこの私たちの中にも積み重なり、大きく大きく育ってゆきますように。その信頼と感謝の上に立って、この私たちも一日ずつを暮らすことができますように出エジプト記16:1-12,箴言30:7-9,申命記8:1-20)。