4/17 こども説教 創世記 45:1-15
『兄弟たちとの再会』
45:3
兄弟たちは答えることができなかった。彼らは驚き恐れたからである。4 ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしに近寄ってください」。彼らが近寄ったので彼は言った、「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。5 しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。6 この二年の間、国中にききんがあったが、なお五年の間は耕すことも刈り入れることもないでしょう。7 神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。8 それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です。神はわたしをパロの父とし、その全家の主とし、またエジプト全国のつかさとされました。……14 そしてヨセフは弟ベニヤミンのくびを抱いて泣き、ベニヤミンも彼のくびを抱いて泣いた。15
またヨセフはすべての兄弟たちに口づけし、彼らを抱いて泣いた。そして後、兄弟たちは彼と語った。
(創世記
45:1-15)
【こども説教】
アブラハムの子イサク。イサクの子ヤコブ。ヤコブの12人の子供の1人がヨセフです。兄たちは弟ヨセフを激しく憎んで殺そうとし、ついには奴隷としてエジプトに売り払ってしまいました。長い年月が過ぎて、ヨセフはエジプト王に仕えて大きな権力をふるう指導者とされました。7年の豊作と7年の飢饉が起こって、ヨセフの兄たちも父も皆、食べるものを求めてエジプトに避難してくるほかなくなりました。かつてヨセフを殺そうとし、奴隷として売り払った兄たちの手荷物の中に、ヨセフは金包みを入れておき、彼らが盗みを働いたと疑いをかけ、厳しく取り扱います。兄たちも父も、自分たちは殺されるかもしれないとひどく恐れます。恐れの中で、兄たちは三日間、監禁所に閉じ込められます(42-44章を参照)。神ご自身こそが彼らを叱り、厳しく取り扱っています。神の民として新しく出発するためには、あの彼らも私たちも自分自身の罪深さを認め、その罪を、神にゆるしていただく必要があるからです。罪のゆるしを受け取る中にこそ、神さまからの救いと祝福があるからです。
そして、彼らは兄弟として仲直りをさせられ、互いに喜び合います。7-8節、「神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です。神はわたしをパロの父とし、その全家の主とし、またエジプト全国のつかさとされました」。
【大人のための留意点】
(7年の豊作と7年の飢饉を用いて)神はヨセフの兄弟たち、イスラエル、エジプト人、そしてすべての人々に食物とパンを与えようと欲しておられます。けれども神はわれわれに、肉体の栄養にまさる、より大いなるものを与えようと欲しておられます。『人はパンのみで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである』(マタイ4:4)。神の口から出る一つの決定的な言、それは『ゆるし』です。……われわれの永遠の救いに問題がかかわる時には、神は厳しくあられるのです。まことに厳しくあられます。最後的に、あの聖金曜日に明らかとなったごとくに。古い罪をただ漫然と黙って見過ごしになさらないのです。神は、根本から助けようとなさり、ゆるしによって罪を根絶やしになさろうとするゆえに、それゆえにこそ、神は厳しくお臨みになるのです。それは、どこやら、病根をすっかりえぐり取る外科医の厳しさにも似ています。
今日、われわれはさまざまの罪過を担って、このところへやってきました。神がゆるし給うならば、われわれは、ヨセフの兄たちのように、心にゆるしを得て家路につくことができるでありましょう(ヴァルター・リュティ『ヤコブ 創世記連続講解説教集』該当箇所、新教出版社)。