2021年12月6日月曜日

12/5こども説教「バベルの塔」創世記11:1-9

12/5 こども説教 創世記11:1-9

 『バベルの塔』

 

11:1 全地は同じ発音、同じ言葉であった。2 時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。3 彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。4 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。5 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、6 言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。7 さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。8 こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。9 これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。

                          (創世記11:1-9

 

  【こども説教】

 神さまは、わたしたち人間の心がとても悪くて、小さな子供のころからついつい悪い思いをもってしまうと分かった上で、人間とこの世界を滅ぼすことを思い直しました。だから、ノアの大洪水は、世界のための解決策にはなりませんでした。ということは、大洪水の後も、人間と世界はさらにますます、どんどん悪くなっていきます。天にまで届く高い高い塔を建てて、神のようになろうとした人たちがいました。4節、「彼らはまた言った、『さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう』」。強く大きくなって、自分たちの名前と力を他のみんなに思い知らせてやろう。その心の中身は、他の人間たちへの恐れです。もし、そうできなければ、だれかに踏みつけにされて、散り散りにされてしまうかも知れない。もし、小さくて弱いと他の人間たちに思われたら、その人たちからどんな目に遭わされるか分からない。だから神のように、強く大きく高くなってやろう。けれど、それは、神さまをさえ押し退けようとする、神に逆らう悪い考えでした。ですから神さまが、それを止めさせました。彼らは、おかげで世界中に散り散りにされてしまいました。

 

 

 【大人のための留意点】

 バベルの塔の建設者たちは、主(あるじ)のことを考慮のうちに入れていないのです。彼らは神を抜きにして、一致をはかろうとするのです。彼らは神なき者であり、またそのようであろうとするのです。終始一貫、彼らはあえて神の不在性を貫こうとしますが、その試みは成功しません。……彼らは今、いわば力づくで神にとって代わろうとするのです。さながら彼らは、自らが自らの中心となり、一切の行動を自分本位に展開するのです。永遠の神を信ずる代わりに、自らを永遠化するのです。神の御名を讃美する代わりに、自らの名を称揚します。「さあ、町と塔を建てて、その頂を天に届かせよう」。彼らは、いにしえの誘惑者のそそのかしに乗っています。「あなたがたは神のようになる」。(神は)建築停止をお命じになることにより、かの神なき世代を御自身で保護してくださる。神がお下りになる時には、たとえそれが審判のためと見えましょうとも、それは、われわれの救いのためなのです。神は愛です。審判においても、否、審判においてこそ愛なのです(ヴァルター・リュティ『創世記講解1 アダム』新教出版社 該当箇所)

 








ブリューゲル画「バベルの塔」