12/19 こども説教 創世記 12:10-20
『妹だと言ってほしい』
12:10 さて、その地にききんがあったのでアブラムはエジプトに寄留しようと、そこに下った。ききんがその地に激しかったからである。11 エジプトにはいろうとして、そこに近づいたとき、彼は妻サライに言った、「わたしはあなたが美しい女であるのを知っています。12 それでエジプトびとがあなたを見る時、これは彼の妻であると言ってわたしを殺し、あなたを生かしておくでしょう。13 どうかあなたは、わたしの妹だと言ってください。そうすればわたしはあなたのおかげで無事であり、わたしの命はあなたによって助かるでしょう」。14 アブラムがエジプトにはいった時エジプトびとはこの女を見て、たいそう美しい人であるとし、15 またパロの高官たちも彼女を見てパロの前でほめたので、女はパロの家に召し入れられた。16
パロは彼女のゆえにアブラムを厚くもてなしたので、アブラムは多くの羊、牛、雌雄のろば、男女の奴隷および、らくだを得た。17 ところで主はアブラムの妻サライのゆえに、激しい疫病をパロとその家に下された。18 パロはアブラムを召し寄せて言った、「あなたはわたしになんという事をしたのですか。なぜ彼女が妻であるのをわたしに告げなかったのですか。19 あなたはなぜ、彼女はわたしの妹ですと言ったのですか。わたしは彼女を妻にしようとしていました。さあ、あなたの妻はここにいます。連れて行ってください」。 (創世記
12:10-20)
【こども説教】
神の民とされたアブラム(のちのアブラハム)の一族の新しい旅が始まりました。知らない新しい土地に入る。美しい妻を奪おうとして、土地の人が私を殺そうとするだろう。だから、「妻ではなく、ただの妹です」と言ってほしいと妻に頼みます。妻は、そうすることを受け入れます。これは、神に対するひどい裏切り行為です。しかも、しばらくして、この2人はもう1度これと同じ悪だくみをし、するとその様子を見ていた息子夫婦さえも、「父さん母さんがしているなら、自分たちもそういうズルくて悪いことをしてもいいかも知れない」と、うっかり思ってしまいました。自分の父さん母さんとそっくり同じに、「妻ではなく、ただの妹です」と嘘をついて、神さまをひどく裏切ってしまいます(当箇所、創世記20:1-18、同26:6-11)。つまり3度も、神への同じとても悪い裏切り行為が報告されています。11-13節、「エジプトにはいろうとして、そこに近づいたとき、彼は妻サライに言った、『わたしはあなたが美しい女であるのを知っています。それでエジプトびとがあなたを見る時、これは彼の妻であると言ってわたしを殺し、あなたを生かしておくでしょう。どうかあなたは、わたしの妹だと言ってください。そうすればわたしはあなたのおかげで無事であり、わたしの命はあなたによって助かるでしょう』」。なぜ、そんなことをしてしまったのか。神さまを十分には信じられなかったからです。神さまが守ってくださるとは思えなかったので、ついつい自分のズルい悪だくみと自分の知恵で生き延びようと思ってしまったからです。困ったことです。
【大人のための留意点】
われわれ人間、われわれ信仰者は試練に屈することがあるという点です。われわれのうち誰もがです。けれども、なぜアブアブラハムは試みる者の前に屈したのでしょうか。答えは大変はっきりしています。すなわち、試みのときに、アブラハムは神のもとに身を避けて助けを求めることをしないで、自力を頼みとしたためです。その結果、当然、なるような次第となったのです。アブラハムは、依然として、なおも信仰者です。エジプト逃避行の間も、彼は決して信仰者であることを止めてはいません。けれども、彼は今や、しなくてもよい旅に出かけ、神の命令に従ってではなく、独断でエジプトに赴きます。彼の信仰は不従順となり、この瞬間から内側から挫折してしまっています。確かな期待、神への信頼は失せ去りました。
かかる者が「信じる人の父」なのです。そして、かかる者はアブラハムひとりに留まりません。アブラハムの他にも、聖書にはダビデの姦通が記されています。ペテロの否認があり、サウロ(パウロ)のキリスト者迫害があります。……神の慈しみに触れたアブラハムの顔は、そのとき恥ずかしさで真っ赤に染まったことでしょう。神は彼を地獄の最も深いところに追いやる代わりに、彼を家路に連れ戻されました。「約束の地」に。それは失われた息子の帰還のごとく、次には喜びの祝いと変わるでしょう。神は御国を、われわれの弱さや失敗を通しても建設なさいます(w・リュティー 創世記講解説教『アブラハム』、該当箇所)。