1/17 こども説教 使徒行伝 22:22-30
『議会での証言へ』
22:22 彼の言葉をここまで聞いていた人々は、このとき、声を張りあげて言った、「こんな男は地上から取り除いてしまえ。生かしておくべきではない」。23 人々がこうわめき立てて、空中に上着を投げ、ちりをまき散らす始末であったので、24 千卒長はパウロを兵営に引き入れるように命じ、どういうわけで、彼に対してこんなにわめき立てているのかを確かめるため、彼をむちの拷問にかけて、取り調べるように言いわたした。……するとパウロは言った、「わたしは生れながらの市民です」。29 そこで、パウロを取り調べようとしていた人たちは、ただちに彼から身を引いた。千卒長も、パウロがローマの市民であること、また、そういう人を縛っていたことがわかって、恐れた。30 翌日、彼は、ユダヤ人がなぜパウロを訴え出たのか、その真相を知ろうと思って彼を解いてやり、同時に祭司長たちと全議会とを召集させ、そこに彼を引き出して、彼らの前に立たせた。 (使徒行伝
22:22-30)
救い主イエスの弟子とされたパウロは、エルサレムの都で、たくさんの人々の前で、神さまのことを知らせようとして話し始めました。腹を立てた人たちに邪魔をされて、その大切な話は途中で打ち切りにされてしまいました。けれど本当は、神さまご自身が、パウロの話を途中で打ち切りにさせたのです。それは、話すことを止めさせるためではなく、ちゃんと公平に正しいやり方で聴いてもらえる場所で、十分に話させるためにです。パウロはそうやって、裁判にかけられようとしています。ローマの市民だからと、ローマ軍の隊長は怖がって裁判にかけようと考えました。30節、「翌日、彼(=1000人の部下をもつ隊長)は、ユダヤ人がなぜパウロを訴え出たのか、その真相を知ろうと思って彼を解いてやり、同時に祭司長たちと全議会とを召集させ、そこに彼を引き出して、彼らの前に立たせた」。本当は、ローマの市民であっても無くても、誰でも、正しい裁判を受け、正しく公平に取り扱ってもらえる権利があります。大人でも子供でも、どこの国のどんな人間でも、その権利は、誰からも決して奪われてはなりません。なぜならそれは神さまから与えられ、保証されている権利だからです。30節、「翌日、彼は、ユダヤ人がなぜパウロを訴え出たのか、その真相を知ろうと思って彼を解いてやり、同時に祭司長たちと全議会とを召集させ、そこに彼を引き出して、彼らの前に立たせた」。