2019年2月4日月曜日

2/3こども説教「アナニアとその妻サッピラ」使徒5:1-11


 2/3 こども説教 使徒行伝 5:1-11
 『アナニヤとその妻サッピラ』

5:1 ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、2 共謀して、その代金をごまかし、一部だけを持ってきて、使徒たちの足もとに置いた。3 そこで、ペテロが言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。4 売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。5 アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、倒れて息が絶えた。このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた。・・・・・・8 そこで、ペテロが彼女にむかって言った、「あの地所は、これこれの値段で売ったのか。そのとおりか」。彼女は「そうです、その値段です」と答えた。9 ペテロは言った、「あなたがたふたりが、心を合わせて主の御霊を試みるとは、何事であるか。見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。あなたも運び出されるであろう」。10 すると女は、たちまち彼の足もとに倒れて、息が絶えた。
(使徒行伝5:1-11

  どうぞ聴いてください。
今も昔も、神さまへの献げものは、ただただ感謝の献げものでなければなりません。自由な、感謝の献げものです。もし、お金や家や土地や財産をささげるなら、ささげてもいい。困らない範囲で、感謝の分だけ自由にささげることができます。神さまのために何かの係りを担って働くこともまったく同じで、それは自由な、感謝の献げものです。献げものがたくさんあっても少ししかなくても、ちっとも困りません。例えば教会の定期総会で、神さまのために働く人を選ぶ場合にも同じで、「選ばれることに不都合のある人はあらかじめ知らせておいてください」と伝えられていました。牧師、長老、執事も、他のすべての働きもみな同じです。それらは神さまへの献げものであり、ただただ神さまへの感謝の献げものでなければとても困るからです。ですから私たちは、アナニヤとその妻サッピラがしたことをよくよく覚えておきましょう。まわりの人間たちから誉められよう、良く思われたいと願って、彼らはズルをしました。人間たちを欺き、それどころか神さまを欺きました。3-4節と9節を読みましょう。「そこでペテロが言った、『アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ』」。そして9 節。「あなたがたふたりが、心を合わせて主の御霊を試みるとは何事であるか」。恐ろしいことが起きました。ここにいる私たち一人一人も、自分の胸に手を当てて、「ああ、この自分はどうだろう。思い上がって神さまをあなどったり、軽んじたり、欺いたりはしていないだろうか。神さまに申し訳ないことを、ついついしでかしてはいないだろうか?」とつくづく思い起こしてみるためにです。このように確かに、私たちの主なる神さまは生きて働いておられます。