2/10 こども説教 使徒行伝5:12-20
『留置場の戸が開かれる』
5:12 そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた。そして、一同は心を一つにして、ソロモンの廊に集まっていた。13 ほかの者たちは、だれひとり、その交わりに入ろうとはしなかったが、民衆は彼らを尊敬していた。14 しかし、主を信じて仲間に加わる者が、男女とも、ますます多くなってきた。15 ついには、病人を大通りに運び出し、寝台や寝床の上に置いて、ペテロが通るとき、彼の影なりと、そのうちのだれかにかかるようにしたほどであった。16 またエルサレム附近の町々からも、大ぜいの人が、病人や汚れた霊に苦しめられている人たちを引き連れて、集まってきたが、その全部の者が、ひとり残らずいやされた。17 そこで、大祭司とその仲間の者、すなわち、サドカイ派の人たちが、みな嫉妬の念に満たされて立ちあがり、18 使徒たちに手をかけて捕え、公共の留置場に入れた。19 ところが夜、主の使が獄の戸を開き、彼らを連れ出して言った、20 「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」。 (使徒行伝 5:12-20)
神さまを信じて生きていても、それでもやっぱり苦しいことや困ったことは次々に起こります。けれども、助けや支えがきっと必ず神さまのもとから送られてきます。あの彼らもそうでした。私たちも同じです。ムチで打たれたり、脅かされたり、ひどく殴られたり蹴られたり、牢獄に閉じ込められたりもします。それでも大丈夫。なんの心配もありません。このことをよく知っている必要があるので、この5章と12:1-11と16:23-34と、合わせて3回、牢獄の戸が神さまの力で開かれたことが報告されています。5章と12章は弟子たちを助け出すために、16章は牢獄の看守とその家族をクリスチャンにしてあげて、神を信じて生きる新しい人生へと招き入れてあげるためにです。そのことは、いつか別のときに話しましょう。もちろん、あなたにも私にもものすごく困ることが起きますよ。次から次へと。けれど、どんな苦しみや悩みや困ったことが起きた時にも、助けが神さまから来ると信じることのできる人たちはとても幸いです。恐ることなく、どこへでも安心して出て行って、神さまに仕えて晴れ晴れと生きることができるからです。
【補足/神さまに信頼すること】
信仰問答は語ります、「神を敬う、正しいあり方はどういうものですか?」「全信頼を神におくこと、その御意志に服従して、神に仕えまつること、どんな困窮の中でも神に呼ばわって、救いとすべての幸いを神の中に求めること。そして、すべての幸いはただ神から出ることを、心でも口でも認めることです」(「ジュネーブ信仰問答」 問7 1541年)。