みことば/2018,11,25(主日礼拝) № 190
◎礼拝説教 ルカ福音書 2:41-52 日本キリスト教会 上田教会
『自分の父の家にいる』
2:41 さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。42 イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。43
ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。44 そして道連れの中にいることと思いこんで、一日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、45
見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引返した。46 そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。47
聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。48 両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」。49
するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。50 しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。51
それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。52 イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。 (ルカ福音書 2:41-52)
(来週からクリスマスを挟んで一ヶ月間、主イエスがお生まれになった前後の出来事をまとめて読み味わいます。そのため、今日は順序を入れ替えて主イエスが12歳のときに起こった迷子事件のことをお話します。おゆるしください――)
救い主イエスが神の国を宣べ伝えはじめたのは、およそ30歳になってからでした(ルカ3:23)。主の誕生の前後の様子についてはくわしく報告されました(1:26-41)。けれど生まれた後から30歳まで、主がどんなふうに生活し、どんなふうに育ったのかを、聖書はほとんどまったく語りません。つまり、この12歳のときの一つの出来事を除いては。41節です。彼らにとって、祭りは礼拝です。毎年毎年のエルサレムの祭りに向かう旅は、ですから礼拝へと、そして神ご自身へと向かう旅でありつづけました。そういえば遠い昔、奴隷にされていたエジプトの地から脱出するとき、モーセと仲間たちはエジプト王パロに、「私たちを荒れ野に向かわせてほしい。それは礼拝へと向う旅であり、主なる神さまを礼拝しつつ生きる旅であり、そのように生きることが私たちにはぜひとも必要なのだ」と要求しました。王は彼らに、「誰と誰が主に仕えるのか」と質問しました。彼らは答えました、「わたしたちは幼い者も、老いた者も行きます。むすこも娘も携え、羊も牛も連れて行きます。わたしたちは皆で共々に主の祭を執り行わなければならないのですから」(出エジプト記10:9)と。その通り。小さな子供も年老いた者も娘も息子も皆共々に、わたしたちは全員で主の祭を執り行わなければならない。主の祭りは我々全員のもの。私たち皆は主のものだからです。しかも、その礼拝の只中で、私たち全員がもはや他の誰のものでもなく、自分自身が好き勝手に用いて良いものでさえなく! 主ご自身のものであることがはっきりと明らかにされます。
さて、その礼拝からの帰り道。12歳の少年イエスが迷子になりました。両親はとても心配し、心を痛めて、あちこち探し回りました。とうとう息子を見つけました。なんということでしょう。あの息子は神殿の中で、教師や学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしていました(43-47節)。「心配したじゃないの。なぜ、こんなことを」と問い詰める両親に、しかし少年イエスは不思議な答えをします;49節、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。自分は天の御父の独り子である。だから当然、自分の父の家にいるはずであり、それが当然であることをあなたがたは知らなかったのかと。
51節です。この出来事を、心におさめて思い巡らせる一人の人がいました。私たちにとっても、心におさめて深く思い巡らせつづけるに足る出来事が起こったのです。主イエスは神の独り子であるから、なるほど、この方にとっては天の父はまったく父であり、神殿はまったく自分の父の家です。あの彼がそこにいることは当たり前のことです。けれど、それだけではありません。神の独り子は救い主としてこの地上に降りてこられました。私たちの主となってくださり、ただこの主イエスを信じることによって、私たちを神の子たちとして迎え入れてくださいました。そうでしたね。ですから、この方にとってだけではなく私たちにとっても、天の父はまったく正真正銘、自分の父であり(ガラテヤ手紙4:5, ローマ手紙8:14-)、神殿は自分の父の家ではありませんか。私たちは父の家に迎え入れられ、何の恐れもなく、気兼ねも遠慮もいらず自分の父の家に留まることをゆるされています。
主イエスがご自分の父の家におられます。しかも、それは驚いて目を見張るべきことです。なぜなら神の独り子イエス・キリストは神であり、地上に住まうはずなどなかったからです。天も、天の天も、この方をお納めすることなどできないはずでした。世界中の有名建築をすべてあわせてもなおまったく不十分で、どんなに荘厳で巨大な神殿もソロモン王の神殿でさえ、それらは皆たかだか人間が建てたにすぎず、神が住まうにはまったく不適格でした(列王記上8:27-)。けれども兄弟たち。天におられるはずの神は、私たち人間とすべての生き物たちを深く憐れむ神だったのです。神は、私たちをあわれんでくださいました。天にいまして御目を注ぎ、耳を傾けて祈りを聞き届けてくださるばかりでなく、とうとう、天の高みにおられますことをポイと投げ捨てて、その栄光も尊厳も投げ捨てて、この私たちの地上に降り立ってくださった。やがて神殿から商人たちを追い出して、「私の父の家は祈りの家でなければならない」と厳しく叱ってくださった(ルカ19:46参照)のは、あれは何のためだったでしょう。誰のためだったでしょうか。十字架につけられた主イエスが息を引き取られたとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに引き裂かれた(ルカ23:45)のは、あれは何のためだったでしょう。誰のためだったでしょうか。天の御父が御父とされるため、御父の家が御父自身の家であるため、ご自身のため、そして私たちのためです。私たちがここで天におられます父なる神と出会い、父なる神の御声を聞き届けるためにです。顔をあげて、恵みの御座に大胆に近づいてゆけるためにです(ルカ18:9-,ヘブル手紙4:16-)。誰でも、どこに住んで何をしている人であっても、大きなものも小さなものも何の恐れも遠慮もなく、父なる神さまの御顔を仰いで祝福と幸いを得るためにです。私たちをあわれむそのあわれみは、天におられる「べきこと」よりも深く、神が神であられ「ねばならないこと」よりも、はるかに大きかったのです。罪人を救うために主イエスは来られました。途方に暮れて心細くさまよっている放蕩息子たち、放蕩の娘たちを再び父の家に迎え入れるためにこそ、主イエスは来てくださいました(テモテ手紙(1)1:15,ルカ15:20-)。どんなに身を持ち崩した息子も、どんなに遠くまで離れ去っていった娘も、一人残らず父の家に迎え入れるために。そのためにこそ。
主イエスがご自分の父の家におられます。「私は父の家にいる。当たり前だ。そんなことも知らなかったのか」と主はおっしゃいます。もちろん、上田に建てられたこのキリストの教会も、今や《天におられます父なる神さまの家》出張所の一つとされています。ここに、主がおられます。ですから主を探して、あちらこちらと尋ねまわる必要はもうありません。ここもまた《天の父の家》出張所であり、この方がここにおられるのは当たり前だということを、私たちはすでに知っているのですから。しかもさらに、キリストの教会が《天の父の家》出張所とされただけではなく、それに負けず劣らず、あなたが毎日寝起きしているあの家も《天の父の家》出張所とされています。いいえ、それどころか、主イエスを信じて生きる一人一人のクリスチャン自身が神の住まう神殿とされ、天の御父の家とされました。聖書は証言します、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである」「あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい」(コリント手紙(1)3:16-17,同6:19-20)。だからこそ、そこでようやく、あなたや私でさえ父なる神さまの家を離れずに毎日の暮らしを生きることができるのです。本当のことです。私たちは父の家に帰ってきました。私たちは我に返ってこう言いました、「わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。けれどもどうか、お願いですから、雇い人の一人にしてください」と。けれど、そんな弁解も詫びも言う暇さえなく、直ちに迎え入れられたのです。家の方角へと眼差しを向け返し、その家へ向かってトボトボと帰りはじめた矢先に、あの父親は早くも私たちを見出してくださいました。「あ、あれだ。あれは、私の大切な大切な息子の一人だ。娘の一人だ」と。なぜなら父親は、いなくなって死んだようだったその私たちを思いつづけ、案じつづけていたからです。「今頃どうしているだろう。今日は帰ってくるだろうか。明日だろうか」と心を痛め、気に病みつづけてくださったからです。「あ、あれか」と私たちを見つけ出すはるか以前に、父のあわれみはすでに満ち溢れていたからです。「この方角から帰ってくるだろうか。それとも」と見渡しつづけ、とうとう待ちきれずに尋ね回り、探しにさえ出ておられたからです。だからです。だから、あの格別な父親は、まだ遠くにいる私たちを見つけ、走り寄って首を抱き、接吻したのです。「お父さん、私は天に対しても……」と私たちは詫びはじめましたけれど、父親は、その謝罪も反省もすでに耳に入らず、聞く余裕さえなく、ひたすら、ただただ喜びにあふれておられました。大喜びしてくださいました。「さあ急いで。急いで急いで急いで。一番良い服をもってきて、この子に。指輪をこの子の手に。履物をこの子の足に。肥えた子牛を屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、ほかの何にも代えがたい、欠けがえのないこの娘は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった。こんなに嬉しいことはない」(ルカ15:24)。
主は今や天におられるばかりでなく、地上の一つ一つの《天の父の家》出張所におられます。遠い昔にヤコブが石を枕にして見た夢が、今日ここで実現しているのです。人里離れた、柱の一本も立っていない荒地も淋しい山の中でさえ神の家とされました(創世記28:16-)。日曜日の午前中に父の家にいるだけではなく、月曜日にも火曜日にも父の家に据え置かれています。学校や職場にいても家にいても、誰と一緒のときにも、どこで何をしていても何もしていなくたって、そこで、そのように父の家にいる私たちです。あなたや私がふだん寝起きしているそれぞれの家さえも、素敵で快適な邸宅も、掛け値なく不足なく《天の父の家》出張所とされました。そうでした。しかも憐みを受けて神の子供たちとされた者たちよ、この私たちは、その場所を尊んで父なる神のものである祈りの家とすることもでき、そうではなく強盗の巣に引き下ろしてしまうこともできます。わが物顔でふるまって、自分の好き嫌いを言い立ててて、思い通り思いのままにふるまって強盗の巣にしてしまうことも。あるいは身も心も深く慎んで、天の父なる神さまのものである祈りの家としつづけることも。どうやって? 「私は道である」とおっしゃった主イエスを信じる信仰によってです。「だれでも私によらないでは父の御もとに行くことはできない。私によるなら、私という一本道を通りさえすれば、誰でも必ず父の御もとに辿り着き、父の家に生涯ずっと留まりつづけることができる」(ヨハネ福音書14:6参照)。いつでもどこででも、例えば、あるときから介護施設に入居してその一室にいても、あるいは病院のベッドに何日も何週間も横たわって過ごす日々にも、あなたはこう言いなさい、「ああ本当に。主がこの場所におられるのに、私は知らなかった。私は少しも気づかなかった。ここは、なんと畏れ多い場所だろう。なんと恵みに満ちていることだろう。父の家である。しかも私たちの父の家、正真正銘、この私の父の家である」と。すでに神御自身によって時が満たされ、神の御支配が近づいています。ですから、私たちは今日こそ悔い改めて、福音を信じましょう(マルコ福音書1:15参照)。信じて生きることを改めて積み重ねていきましょう。この自分自身が父の家にかたく据え置かれていることが分かったら、そしたら、そこで私たちは何をしたらいいでしょう。何をおいてもなすべき第一の、最優先の、緊急の務めがあります。主を喜び祝うことです。さあ、良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのないものには、あなたが受け取ってその手に持っている良いものを分けてやりなさい。なにしろ、何をおいても、主を喜び祝うこと。それこそが、私たちのためのいつもの力の源である(ネヘミヤ8:10)。「ああ本当に。主がこの場所におられるのに、私は知らなかった。少しも気づかなかった」と驚き、ますます神さまにこそ信頼を寄せて生きることこそ、私たちの力の源である。「ありがとうございます」と主に感謝し、「ゆるしてください。あわれんできださい」 と呼ばわりながら、ゆるしとあわれみを受け取りつづけることこそ、私たちのためのいつもの力の源である。今日は、私たちの主にささげられた聖なる日です。もちろん明日も、私たちの主にささげられた聖なる日です。明後日も、その次の日も。