11/11 こども説教 使徒行伝2:1-13
『聖霊なる神のお働きによって』
2:1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。・・・・・・あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。12 みんなの者は驚き惑って、互に言い合った、「これは、いったい、どういうわけなのだろう」。13 しかし、ほかの人たちはあざ笑って、「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言った。 (使徒行伝 2:1-13)
どうぞ、お聞きください。
ペンテコステと呼ばれる五旬節の祭りの日の出来事です。天の父なる神さまからの約束のとおりでした(使徒1:4-5,ルカ福音書24:45-49を参照)。信じて待っていた弟子たちの上に聖霊なる神がくだってきて、彼らの体の中に宿りました。すると彼らは聖霊なる神さまが語らせるままに、神からの言葉を語り始めました。4節で、「いろいろのヨソの国の言葉で語りだした」と報告されています。ずいぶん長い間、大勢のユダヤ人たちは遠く離れたあちこちのヨソの国々に散り散りに暮らしていました。移り住んでいたそのヨソの国の言葉を使って長く暮らしているうちに、もともとの自分たちの国の言葉を話すことも聞き取ることもできなくなった人々が大勢いて、その人たちが大切な祭りを祝うためにエルサレムの都に集まってきていました。ですから、その人たちによく分かるように話すためには、その人たちがふだん使って慣れ親しんでいる言葉で、つまりそのいろいろなヨソの国の言葉で話さなければなりませんでした。習ったこともない知らない外国の言葉を弟子たちがスラスラと急に話すことができたのは、聖霊なる神さまの力に助けられて語っていたからです。
さて、それを聞いている人たちの様子は2種類に分かれました。「神さまの大きな働きを話すのを聞いている。なんて不思議なことだろうか」と驚いて耳を澄ませている人たちと、「いやいや、酒でも飲んで酔っ払って、いい加減なデタラメを喋っているだけだよ」とバカにする人々と、まったく正反対の2種類の人々です。