1/15 こども説教 ルカ9:46-48
『誰がいちばん偉いか病』
9:46 弟子たちの間に、彼らのうちでだれがいちばん偉いだろうかということで、議論がはじまった。47 イエスは彼らの心の思いを見抜き、ひとりの幼な子を取りあげて自分のそばに立たせ、彼らに言われた、48
「だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そしてわたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。あなたがたみんなの中でいちばん小さい者こそ、大きいのである」。 (ルカ福音書 9:46-48)
『だれが一番えらいだろうか』という病気を知っていますか。ずいぶん長い間、この極めて恐ろしい病気は、雑草のように世界中に伸び広がり、私たち人間を苦しめつづけてきました。多くの人々がこの病気にかかり、深い悩みの中に置き去りにされています。「役に立たない小っぽけな人間だ」とまわりの人たちから思われるんじゃないか。片隅に押しのけられ、邪魔者にされ、誰からも相手にされず、見捨てられてしまうかもと気が気ではありません。おっかなくて、おっかなくて、だから臆病になり、自分の身を守るために生ズルく立ち回ります。必死で背伸びをし、見栄を張り、体裁を取り繕いつづけます。心当たりがありますか?
主イエスの弟子たちにも、ちょうど今また、この病気がぶり返しています。治ったかなと思って安心していると、またかかり、人からうつされたり、うつしたり、集団感染したりしつづけます。神さまを信じているはずのクリスチャンでもかかるくらいですから、誰でもみなこの同じ『誰がいちばん偉いか病』にかかります。ほうっておくと、その患者さんは死んでしまいます。この病気を治せるとても良いお医者さんを知っていますね。神さまです(*1)。『偉くて大きくて立派でとても賢い心の清らかな人は誰もいない。その小さな弱い貧しい愚かな人々を、けれど神さまは大事に思って、病気を治してくれる』という薬をくれます(*2)。苦い薬ですけれど、朝昼晩と飲んでいると病気が治ります。本当のことです。
【補足/神からの治療法】
(*1)ルカ福音書5:27-31。医者である神、その医者に病気を治してもらう病人である私たち人間。救い主イエスはおっしゃった、(31-32節)「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。神に逆らい、自分自身の正しさを首長しつづけること。この罪深さと悲惨とを、救い主イエスはここで『病気』と言い換え、その罪人を『病人』であると言い換えています。
(*2)聖書の中にも外にも、にぎやかな街中にも小さな地方都市にも、あちこちどこにでもこの病気にかかった人々は大勢います(創世記4:1-16,同4:19-24,同9:18-28,同11:1-9,同12:10-,20:1-,26:1-,37:1-11,出エジプト3:11-4:13,同32:1-6,列王記上12:25-33,マタイ福音書20:1-16,ルカ福音書10:38-,同15:25-32,マルコ9:30-,コリント(1)1:11-13, 同1:26-31, 同3:3-9, 同4:6-)。聖書は、1つの治療法を提案しつづけます。《神の憐みを受け取る》という提案です。神さまがどんなに気前の良い神さまであり、あの救い主が私たちのために何を成し遂げてくださったのかを、思い起こすこと。兄弟たち。自分が神さまの恵みのもとへと招かれたときのことを思い起こしましょう。どんなに慈しみ深い御計らいを受け取りつづけてきたのかを。聖書66巻は「仕えなさい」「思い上がってはいけません。身を低く屈めて、へりくだりなさい」「慎みなさい」と戒めつづけてきただけではありません。だって、それだけでは私たちは、ただただイジケたり僻んだり拗ねたり、「どうせ私は」とガッカリするだけですから。だから、心淋しい兄弟たち。よくよく知るべきことは、神ご自身が身を低く屈めてくださったことです。救い主こそが自分に固執しようとなさらず、低く下り、かえって自分を無にし、しもべの身分をとり、十字架の死に至るまでご自分を献げてくださった(ピリピ2:6-)ことを。あなたを、この『だれが1番えらいか』病から救い出して、ついにとうとう誉めたり見下したり、誉められたり見下されたりすることからも、世間体や体裁ばかりを気に病みつづけることからさえ自由な者とするために。しかも、なぜ、《仕えるしもべの心低い場所》に身を置きなさいと命じられるのか? そこが、福音を福音として受け止め、慈しみの神と出会うための、いつもの待ち合わせ場所だからです。そこで、素敵な贈り物を受け渡ししてくださろうと待っておられます。格別な恵みと平和とを。ですから、皆から「立派だ。さすがだ。偉い」と思われたくてウズウズしているその人たちは、待ち合わせ場所を間違えています。残念なことです。