9/20 こども説教 マタイ福音書 20:1-16 牧師 かねだせいじ
『とても気前の良い神』
「自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか」 (マタイ20:14-15)
神さまが王様である国がどんなふうか、その国でどんなふうに暮らしていくことができるのかを、主イエスがたとえ話を用いて教えてくださっています。たとえ話は、何が何をたとえているのかを心に留めながら読むのでした。では、この「不思議なぶどう園の不思議な主人」は誰のこと? 神さまですね。じゃあ、その「ぶどう園」が神さまの国ってことか。すると、雇われてそこで働く労働者たちは誰のこと。私たちですね。「わたしのぶどう園に来て、あなたも働きなさい」と主人は朝から夕方まで、何度も何度も労働者たちを呼びに出かけていきます。わざわざ自分で出かけていきます。大事なことをお伝えしておきますけど、神さまは私たち人間とはモノの考え方や感じ方も、することなすこと、だいぶん違っています。『私たち人間とはだいぶん違うことを考えたりしたりする神さまだ』と、覚えておいてください。「猫の手も借りたいほど仕事が忙しくて、人手不足で、それで」なんて思ったら大間違いですよ。わざわざ「私のぶどう園に来て働きなさ~い。あなたも、あなたも」と一日中、何度も何度も出かけて誘っているのには理由があります。分かりますか? 神さまの国である「ぶどう園」に来て、そこで働いている人もいるし、まだ「ぶどう園」に来ていなくて、市場や広場や道端のあちこちでウロウロしていたり、ただボーと立っている人もいます。「なぜ何もしないで、一日中ただボーっと立っているのか?」と神さまが質問します。「誰も雇ってくれなかったんですよお」と彼らが答えます。ただボーッと突っ立ってるのが楽しくてじゃなくて、そうしているのが好きだからじゃなくて、仕方なしに立ってたんですよ。可哀そうでしょ、淋しいですね。そうやって立っているうちに、あっという間にお爺さんお婆さんになって時間切れになっちゃうんですから。だから、「どうして何もしないで立っているのか」と質問してあげました。だから、「じゃあ、あなたがたもぶどう園に行きなさい」と誘ってあげました。だってその人たちが、あんまり可哀そうで惨めだったからです。こういう神さまですよ。
皆に一日一デナリオンずつの約束で仕事に雇いました。一日一デナリは仕事の賃金としてはごく普通です。ヨソの仕事場でも同じくらいの値段で働かせていましたから、「ああ普通のことか。ヨソの働き場所と同じか」と勘違いしやすかったのです。夕方の支払いのとき、朝早くから働いた労働者たちが文句を言って、カンカンに怒っていましたね。12節です、「この最後の者たちは一時間しか働かなかった。私たちは朝早くから一日中、暑い中をクタクタになって働いた。それなのに同じ扱いをするなんて、ずるいじゃないか。ひどいじゃないか、エコひいきだ」。支払いの順番をわざと逆にして、後から来た人たちが皆1デナリオンずつ受け取るのを、先に来た人たちにわざわざ眺めさせたことにも気づきましたね(8節)。それは何のため? プンプン怒らせて、こうやって文句を言わせるためにです。そして、このぶどう園がヨソの仕事場と全然違う、とても不思議な場所だということ。そこで神さまが、私たちが考えることとずいぶん違うことを考えて、行なっていることを教えてあげるためにです。これは、かなり難しいです。「チンプンカンプンで、さっぱり分からない。理解もできないし納得できない」という人がいっぱいいるかも知れません。14-15節;「自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか」。
とても気前のいい神さまなんですって。こういうふうに皆を取り扱うんですって。妬ましくなったり、嫌な気がする人もいるでしょう。神の国はこういう所で、もうすでにどこもかしこも神の国のぶどう園の敷地の中です。「わたしのぶどう園に来て働きなさい」と誘われて、来て働いてみて、それで嬉しかったですか? あなたはどうですか? あなたは、あなたは? ――本当。ああ、それなら良かった。
◎とりなしの祈り
イエス・キリストの父なる神さま、だからこそ確かに私たちの本当の父になってくださり、主イエスをとおして私たちをあなたの本当の子供たちとして迎え入れ、養い、支え、守りとおしてくださる神さま。心から感謝をいたします。あなたを信じる信仰をますます私たちに与えてください。あなたの御心を思い、あなたの御言葉にますます聴き従って生きる私たちとならせてください。
神さま。国と国のケンカを戦争というそうです。国と国も、大人同士も、夫婦も親子も、子供同士でも、外国の人とも誰とでも、ケンカをしないでいさせてください。ケンカは、「他の人からやっつけられないように、先に自分から相手をやっつけるんだ。誰かからいじめられないように、自分から誰かをいじめたり、そのいじめの仲間入りをしちゃおう」という誰かの言い訳や、なま狡い考えから始まります。自分たちさえよければそれでいいんだという自分勝手な理屈からはじまります。神さま、この国はいま自分勝手で臆病でなま狡くて自分勝手な国に成り下がろうとしています。げんこつで人を傷つけて、大声でどなって、怖い顔をして相手を脅かせて、偉そうにいばろうとしています。人殺しの道具をたくさん作って売って、お金儲けをしようとしています。その傍らで、貧乏な大人や子供や外国人や貧乏なお年寄りを放ったらかしにしようとしています。困っていても手を差し伸べようとしない国になろうとしています。ですから神さま。まず、この私たちに勇気と優しい心を与えてください。戦争やケンカをはじめようとする人たちに、私たちも、大きな声で「やめて」と言うことができますように。やめて、やめて、やめてと何度でも何度でもずっと諦めないで、その人たちに立ち向かう勇気と辛抱強さを与えてください。困っている人や、貧乏な人や、心や体を弱らせている人たちや、心細く暮らす人たちに、それが日本人でも外国の人たちでも、手を差し伸べる私たちにならせてください。
主イエスのお名前によって祈ります。アーメン