2019年10月15日火曜日

10/13こども説教「神に栄光を帰すこと」使徒12:19-25


 10/13  こども説教 使徒行伝12:19-25
 『神に栄光を帰すこと』

12:19 ヘロデはペテロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り 調べたうえ、彼らを死刑に処するように命じ、そして、ユダヤからカイザリヤにくだって行って、そこに滞在した。20 さて、ツロとシドンとの人々は、ヘロデの怒りに触れていたので、一同うちそろって王をおとずれ、王の侍従官ブラストに取りいって、和解かたを依頼した。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。21 定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座にすわり、彼らにむかって演説をした。22 集まった人々は、「これは神の声だ、人間の声ではない」と叫びつづけた。23 するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。24 こうして、主の言はますます盛んにひろまって行った。25 バルナバとサウロとは、その任務を果したのち、マルコと呼ばれていたヨハネを連れて、エルサレムから帰ってきた。            (使徒行伝12:19-25

 少し前に、ヘロデ王がどうしてクリスチャンたちをいじめたり、殺したり、牢獄に閉じ込めていたのかを皆で確かめました。あの王様が人々の気に入ることをぜひしたいと願ったからでした。そうでないと王様をクビにされてしまうかも知れないと。人々が気に入ることさえしていれば、自分は安心で、心強いからと(使徒12:3-4参照)。しかもツロとシドンの人々も、ヘロデ王とよく似た心です。
彼らはヘロデ王が怒るような何かををしてしまったので、なんとかしてヘロデ王にゆるしてもらわないととても困ったことになります。ぜひともご機嫌をとって、精一杯にゴマをすっておきたい。王様と彼らはそっくりです。彼らは王様に気に入られたかった。王様は人々の御機嫌をとる。人々も王様のご機嫌を取る。その相手に気に入られていれば安心だし、そうではないと何をされるか分からないと、王様も人々も互いにビクビクしていました。21-22節。王様の演説を聞いて、ツロとシドンの人々は、「これは神の声だ、人間の声ではない」と叫びつづけました。主の使いがヘロデ王を打って、ヘロデ王はバッタリ死んでしまいました。「神に栄光を帰することをしなかったからだ」と聖書ははっきりと説明しています。ヘロデ王だけでなく、あのツロとシドンの町の人々も私たちも皆、神を信じて生きるはずのものたちです。ツロとシドンの人々もこの私たちも、上田教会や日本キリスト教会も、ほかの誰でも、この通りにされます。神にこそ信頼し、聞き従って生命を得ようと願うなら、私たちは神の憐みによって生きるでしょう。もし、そうではないなら、あのヘロデ王のように打倒されてしまうことでしょう。よく覚えておきましょう。

          【補足/牢獄の番兵や看守の責任】
           19節で、「番兵たちを死刑に処するように命じた」と報告されています。死刑にする予定だったペテロがいなくなりました。牢獄の番をしていた兵隊たちはその責任をとって、ペテロの代わりに死刑にされます。厳しいけれど、これが当時の普通の規則です。しばらく後の16章でよく似たことが起こりました。牢獄の扉が開いて囚人たちがみな逃げ出したと早合点した看守は責任をとって、その場で自殺しようとします。牢獄の看守も番兵も囚人に対してそれだけ重い責任を負わされていました。