1/27 こども説教 使徒行伝4:32-37
『心を1つにし』
4:32 信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。33 使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。・・・・・・36 クプロ生れのレビ人で、使徒たちにバルナバ(「慰めの子」との意)と呼ばれていたヨセフは、37 自分の所有する畑を売り、その代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。 (使徒行伝4:32-37)
心を一つにし思いを一つにすることは、とてもとてもとても難しいことです。長年連れ添った夫婦でもそうです。仲良しの親子や兄弟同士でも、親しい友達同士でもまったくそうです。例えば2人の人がいれば、どんなに話し合っても、よくよく相談しても、2つの心です。3人の人がいれば、心は3つです。10人いれば10個の心、100人いれば100個のそれぞれバラバラな心で、それが普通です。簡単にできることではありません。もし、それぞれバラバラなはずの心が1つの心になるとすれば、他のどこにもないような、とても珍しい、不思議なことが起こっています。「私はこういうことがやりたい。これとこれは嫌いで、やりたくない。それなのに、あの人は。この人は」とお互いにいがみ合って、わがまま勝手に押したり引いたりしつづけるのが普通です。ごく普通に自分の思い通りに、わがまま勝手に好き放題にしようと強情を張るのを、けれど! この人たちは止めてみました。「私や他の誰彼の思い通りにではなく、ただ神さまの御心のとおりにしていただこう。そうだ、そうしよう」とワガママや強情を、試しに一回、後ろに引っ込めてみました。すると心は1つになりました。晴れ晴れして、嬉しくて、とても良い気持ちです。なぜなら、その強情さ、頑固、そのワガママ勝手な自分中心の心こそが、いっしょにいる他の人たちを苦しめ、困らせ、そればかりか自分自身をさえ薄暗くて狭い場所に閉じ込め、悲しく惨めにさせていたからです。では、何が起こったのでしょう。この人たちのために、神さまが自分のことを後回しにさせてくださったのです。どうですか? もし、そうしていただきたいと願うのなら、誰のためにも、あなたやこの私自身のためにさえ神さまがしてくださいます。
【補足/私の願いどおりではなく】
「私や他の誰彼の思い通りにではなく、ただ神さまの御心のとおりにしていただこう。そうだ、そうしよう」とワガママや強情を、試しに一回、後ろに引っ込めてみた。すると心は1つになった。その中身は、神さまの1つの御心です。救い主イエスが十字架にかけられる前夜、ゲッセマネの園で必死に祈りつづけていました。「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、み心のままになさってください」(マルコ14:36)。これが私たちのための、いつもの手本です。