10/21 こども説教 使徒1:12-14
『約束を待って祈る』
1:12 それから彼らは、オリブという山を下ってエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に許されている距離のところにある。13 彼らは、市内に行って、その泊まっていた屋上の間にあがった。その人たちは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダとであった。14 彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。 (使徒行伝1:12-14)
つい先週の礼拝の中で聞いたことですが、主イエスは弟子たちが見ている前で天に上っていき、しかも「それと同じ有様で、またおいでになる」(使徒1:11)と御使いたちが約束しました。その前に、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」(使徒1:4-5,ルカ24:49)と主イエスご自身から命令されていました。天の御父からの約束とは、主イエスを信じる彼ら弟子たちに聖霊なる神がくだってきて、彼ら一人一人の体に宿って、主イエスを信じて生きるための力が与えられるということです。それで命令どおりに、エルサレムの都から離れないで、約束を信じて待って、あの弟子たちは祈りつづけています。皆さんも、神さまに祈ることがありますか? もし、せっかく祈るのなら、神さまが祈りをちゃんと聞いて、かなえてくださると信じて祈るのが良いでしょう。あのときの、あの彼らのように。少し前に、主イエスは言いました。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである」(ヨハネ福音書15:16)。
【補足/祈る理由と目的】
神さまに十分な信頼が寄せられ、信じる者たちが神の御心かなって生活してゆけるためにです。もし、御父に十分に信頼できるなら、よく聞き従うことができ、願い求め、幸いと助けを受け取り、さらに強く深く信頼を寄せ、ますます聞き従って生きる者とされてゆきます。そうではないなら、信じたことが無駄になってしまうでしょう。聖書の初めから終わりまで、ずっと、「恐れるな。恐れるな」と神の民は神から励まされつづけます。神の民がずっと臆病で弱虫でズルくありつづけた理由は、神になかなか信頼しきれないで、脇道へ脇道へとそれてゆくからです。もし、神に十分に信頼できないなら、『神ではない様々な人やモノを恐れつづけて』生きるほかありません。それは、とても心細く淋しく、あまりに惨めな生きざまです。「わたしの信仰を増し加えてください。必要なだけ十分に神に信頼できるようにならせてください」と、あなたも祈り求めましょう。必ずきっと願いはかなえられます。本当にね。