2018年4月16日月曜日

4/15こども説教「神に生きる」ルカ20:27-40


 4/15 こども説教 ルカ20:27-40
 『神に生きる』

20:27 復活ということはないと言い張っていたサドカイ人のある者たちが、イエスに近寄ってきて質問した、28 「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いています、『もしある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだなら、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。29 ところで、ここに七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、30 そして次男、三男と、次々に、その女をめとり、31 七人とも同様に、子をもうけずに死にました。32 のちに、その女も死にました。33 さて、復活の時には、この女は七人のうち、だれの妻になるのですか。七人とも彼女を妻にしたのですが」。34 イエスは彼らに言われた、「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、35 かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。36 彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。37 死人がよみがえることは、モーセも柴の篇で、主を『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、これを示した。38 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである」。39 律法学者のうちのある人々が答えて言った、「先生、仰せのとおりです」。40 彼らはそれ以上何もあえて問いかけようとしなかった。
(ルカ福音書 20:27-40

  神さまがご自分のことを聖書によって教えてくださいます。神を信じて生きるために必要なことは、すっかり全部、聖書に書いてあります。死んだあとで生き返らせていただけることも、聖書にちゃんと書いてあります。だから、『死んでそれで終わりではない』と私たちは知らされています(詩16:10-11,エゼキエル37:1-14,ヨハネ福音書11:23-44,ローマ手紙14:7-10,コリント手紙(1)15:12-22。けれど、神を信じていて、聖書も読んでいたはずなのに、ある人たちはそのことが分かりませんでした。ついつい自分勝手に、いい加減に聖書を読んでいたからです。自分の好みに合わせて、都合の悪いところは聞かなかったことにして聞き流しつづけてきたからです。でも、この人たちばかりを悪く言うことはできません。誰でもみんな、ついつい自分勝手に、いい加減に聖書を読んでしまいやすい心を持っているからです。だから、「しもべは聴きます。神さま、どうか教えてください」(サムエル上3:9,ヨハネ福音書5:39-40,20:31と祈り求めながら聖書を読んでいきます。
 さて、「死んだあとで神さまによって生き返らせていただけるし、死んでそれで終わりではない」と、よくよく覚えていましょう。そうすると、いつでもどこでも、何が起こっても、もし神さまが味方でいてくださるなら大丈夫です。「神さまが必ずきっと助けてくださる」とよくよく信じて生きることができるなら(詩27:1-5,139:1-13,イザヤ43:1-3,46:3-4,ローマ手紙8:31-39、その人は安心で、とても幸せです。


                【補足/神に生きる】
        38節、「神に生きている」とは難しい言い方ですね。「神に対して、神の御前で、神に向かって生きている」ということです。すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである」(ローマ手紙6:4-11)とあり、これを受け止めて、宗教改革者は説明しました、「生きるにも死ぬにも、私は体も魂も私のものではなく、私の真実な救い主イエス・キリストのものであるということです」(「ハイデルベルグ信仰問答 問11563年」)と。