12/3 こども説教 ルカ17:1-4
『ゆるしてあげなさい』
17:1 イエスは弟子たちに言われた、「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。2
これらの小さい者のひとりを罪に誘惑するよりは、むしろ、ひきうすを首にかけられて海に投げ入れられた方が、ましである。3 あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。4
もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。 (ルカ福音書17:1-4)
「罪の誘惑」とか、「罪」と言っています。「罪」とは、人を傷つけたり困らせたりする色々な悪いことを含みますが、第一には、「神さまに逆らい、神に背を向けてしまうこと」です。
そして誰でも、神さまの御心をそっちのけにして、自分勝手にワガママになってしまいます。してはいけない悪いことをしてしまいます。言ってはいけない悪いことを言い、ついつい心に思ってしまいます。「誰の罪でもゆるしてあげること、何度でも何度でもゆるしてあげなさい」と主イエスから命令されています。けれど、「いいよ、いいよ」と何でもただゆるすわけではありません。まず、「あなたは、これこれの悪いことをしましたね。もう、してはいけません。ダメですよ」と注意する。「ああ悪いことをした」と分かって、その相手が悔い改めたら、そうしたら、ゆるしなさい。そうでなければ、ゆるしてあげてはいけません。例えば、あなたのお父さんお母さんが悪いことをしたら、「だめですよ」と注意してあげて、「ああ悪かった」と分かってくれたら、そうしたら、ゆるしてあげましょう。お友だちもそうです。おまわりさんも学校の先生も裁判所の裁判官も、もちろん教会の牧師も、誰でもみんな、してはいけない悪いことをすることもあるでしょう。誰に対しても「だめですよ」と注意してあげて、「ああ悪かった」と分かってくれたら、そうしたら、何度でも何度でもゆるしてあげましょう。
【補足/ゆるすこと】
他人の欠点や貧しさは、まるで手に取るように、よく見えます。しかも自分が受けた傷や痛みには、私たちはひどく敏感です。「あんなことをするなんて、ひどい。我慢できない」と私たちは腹を立て、涙も流します。その一方で、自分がどんな悪いことをしているのかは、あまり気づきません。それでも、私たち自身が《ゆるされること》を必要とし、現にゆるされ続けています。毎日毎日、すべきことをしないで、してはならないことをしてしまいます。神の憐れみを受け取り、「本当にそうだ」と心底から味わうために、そのためにこそあなた自身が他者に対して憐れみ深くあるようにと神はお招きになります。神の偉大さ、神の気前のよさをあなたが受け取ることができるためにこそ、神は、あなた自身が他者に対して寛大に気前よくあるように、と促すのです。