9/10 こども説教 ルカ14:12-14
『神の国のお祝いパーティ』
14:12 また、イエスは自分を招い た人に言われた、「午餐または晩餐の席を設ける場合には、友人、兄弟、親族、金持の隣り人などは呼ばぬがよい。恐らく彼らもあなたを招きかえし、それであなたは返礼を受けることになるから。13
むしろ、宴会を催す場合には、貧しい人、体の不自由な人、足の悪い人、目の見えない人などを招くがよい。14 そうすれば、彼らは返礼ができないから、あなたはさいわいになるであろう。正しい人々の復活の際には、あなたは報いられるであろう」。
(ルカ福音書
14:12-14)
ここは特別に難しいことが語られています。「普段のいつもの付き合いの中で、私たちが人間同士で、お互いに誰とどういう付き合いをして、宴会や食事会で誰と誰を呼んだらいいか」ということではありません。そうではなく、神さまご自身と私たちとの付き合いのことだったのです。その証拠に、この直後の15節を見てください。これを聞いていて、その中の一人が、本当には何のことが語られているのかに気づきました。そして主イエスに、こう言いました。「神の国で食事をする人は幸いです」と。ね? この世の終りの日の、救いが完成されるときの喜びのお祝いパーティ。そのお祝いパーティに、神さまが、誰と誰を呼んでくださるのか? これは、たとえ話で語られています。「友人、兄弟、親族、金持ちの隣り人」のような、自分は正しくて立派で、ふさわしい善人だと思っている人々を、神さまはパーティに呼ばない。そうではなく、「貧しい人、体の不自由な人、足の悪い人、目の見えない人など」のような人々をこそ、神さまは救い出し、神の国へ招き入れ、救われた者たちのお祝いパーティの席につかせてくださる。ここで聖書が語ろうとしたのは、このことです。そのように、神さまから招かれた私たちです。返礼もお返しも何もできませんから、ただただ感謝して大喜びに喜ぶばかりです。神さまに心から感謝して、喜んで生きてゆくばかりです。
【補足/このように招かれた】
直後の15節、これを聞いて、語られていた内容に気がついた人が一人いました。「神の国で食事をする人は幸いです」と。そのとおりです。しかも、この箇所の最重要ポイントは、『この私たち自身がこのように神の国に招かれ、今げんに、神の国に住まわせていただいている』という点です。「ただ恵みによって、主イエスを信じる信仰によって招き入れられた」とクドクドと教えられてきました。それは、このことです。『返礼ができないし、していない』ことを、自分自身の魂に深く刻んでおきましょう。『感謝と喜びの生活』と『返礼をしていないし、できないと分かっている』こととは表裏一体です。礼拝献金、維持献金なども、何かの奉仕も働きも、決して『返礼』などではありません。会費を払って何かの団体に入会しているわけでもありません。だからこそ、ただただ神さまに感謝して喜んで生きてゆくことができるのです。ここで誤解してしまうと、私たちも働きの只中で神の恵みを見失ってしまいます。カインのように。ぶどう園で働いた朝早くからの労働者たち、放蕩息子の兄、働き者のマルタ姉さんのように。それでは、神の恵みが水の泡です。