5/5 こども説教 使徒行伝7:54-60
『ステパノの死』
7:54 人々はこれを聞いて、心の底 から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。55 しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。56 そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、58 彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。59 こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。60 そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。 (使徒行伝7:54-60)
主イエスの弟子ステパノが、自分がなすべき神さまのための仕事をすっかりなし終えて、こうして死んで行きました。私たちもそうです。神さまのためになすべき自分の仕事をなし終えて、このように神さまの御もとへと立ち去っていきます。神の国の福音を聞いて、わあ嬉しいと大喜びに喜ぶ人たちがいます。また、正反対に激しく怒る人たちもいます。怒った人たちがステパノに石を投げつけたとき、その人たちの上着を預かっていたサウロという若者がいました。この若者は、後で救い主イエスを信じるようになり、名前を変えてパウロと呼ばれるようになる人です。59-60節。石を投げつけられ、殺されてゆくとき、ステパノは祈って言いました、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい。主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。やがて死んでゆく時、私たちも自分自身を神さまにすっかり委ねて、安心していることができます。また、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」というステパノの祈りは、十字架の上の主イエスの祈りとそっくりです。主イエスは、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」と祈り、また、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と。とても似ていて、そっくり同じです。主イエスを信じて生きる私たちは皆、だんだんと少しずつ、主イエスのかたちに似たものとされてゆくと神さまから約束されているからです(ルカ福音書23:34,46,ローマ手紙8:29,コロサイ手紙3:10参照)。この私たち一人一人も、ステパノのように、主イエスのかたちに似たものとされてゆく。なんと嬉しいことでしょう。