5/12 こども説教 使徒行伝8:1-3
『サウロは教会を荒し回る』
8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。2 信仰深い人たちはステパノを葬り、彼のために胸を打って、非常に悲しんだ。3 ところが、サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った。 (使徒行伝8:1-3)
ステパノが殺されたとき、彼に石を投げつけた人たちの上着をあずかって、その番をしていたあの若者。ここでも、キリスト教会を荒らし回り、クリスチャンたちを無理矢理に引きずり出し、次々に牢獄に連れて行って、閉じ込めさせたサウロという若者。彼は、やがて救い主イエスを信じるようになって、神さまのために大切な働きをするようになるあのパウロです。神さまをとても熱心に信じていたので、そのころは、キリスト教会や信者たちの家々を荒し回り、クリスチャンたちを苦しめ、ひどい目にあわせたり、牢獄に閉じ込めたりすることが神さまの御心にかなうことだと本気で信じていました。けれど神さまは、この人を神さまのために働く人にしようと決めていました。そのとおりになります。神さまは、私たち人間の思いもかけなかったやり方で、救いの働きを成し遂げていかれます。不思議なことです。やがて、このサウロがクリスチャンたちを困らせ、苦しめているとき、主イエスが彼の前に現れてこう言います、「『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』。そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、『わたしは、あなたが迫害しているイエスである』」(使徒9:4-5)と。サウロは、救い主イエスを信じる人々を困らせたり、苦しめたりしていました。けれど救い主イエスご自身は、「なぜ私を困らせたり、この私自身を苦しめたりするのか」と。主イエスを信じる一人一人の苦しみや辛さ、困ったこと、心細いこと。それらの一つ一つを、救い主イエスは自分自身の苦しみや辛さとして感じて、自分自身の痛みとして受け止めておられます。
【補足/自分の痛みとなさる救い主】
主イエスを信じる一人一人の苦しみや辛さ、困ったこと、心細いこと。それらの一つ一つを、救い主イエスは自分自身の苦しみや辛さとして感じて、自分自身の痛みとして受け止める。それは何度も報告されています。とても大切なことだからです、
「だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである」「あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである。・・・・・・あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』」(マタイ福音書18:5,同25:35-40,ルカ福音書10:16)。