7/16 こども説教 ルカ13:1-5
『悔い改めなければ滅びる』
13:2 そこでイエスは答えて言われた、「それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか。3
あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。4 また、シロアムの塔が倒れたためにおし殺されたあの十八人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。5
あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」。 (ルカ福音書
13:1-5)
3節と5節で、「あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びる」と主イエスが仰っています。本当のことだし、とても大事なので、わざわざ二回も繰り返して言いました。だから、「ああ、そうだったのか」と子供も大人も本気で受け止めましょう。神に逆らって「私が私が」と強情を張りつづけることが罪の中身であり、始まりです。誰も彼もがみな同じく、とても罪深い。たどり着くところは、死と滅びです。もし救われたいと願うなら、神に逆らって「私が私が」と強情を張りつづけることがどんなに悪いことかと気づいて、それを止めて、私たちは神さまへと立ち返らねばなりません。
救い主イエスは言いました、「悔い改めて福音を信じなさい」と。主イエスの弟子たちも、「救われるためにはどうしたらいいですか」と質問されて、やはり同じことを言い続けます。「悔い改めなさい。そして、罪のゆるしを得るためにイエス・キリストの名によって洗礼を受けなさい」と。洗礼者ヨハネもまた同じく、罪のゆるしを得させるために悔い改めの洗礼を授けつづけ、念を押して、「悔い改めにふさわしい実を結べ」(マルコ:15,使徒2:37-39,ルカ3:1-14)と釘をさしました。しかもそれらの言葉はまずユダヤ人立ちに向けて語られ始めました。すでに神の民とされ、神を信じて毎日を暮らしているはずのその彼らに向けて。ですから、神を信じているつもり、神の子供にされているはずだと安心していた人たちはビックリしました。青くなったり黄色くなったりして、「救われるために、この私はどうしたらいいだろうか」と真剣に考え込みはじめました。青くなったり黄色くなったりして、「救われるためには、この私はどうしたらいいだろうか」と真剣に考え込みはじめました。「ただ口先だけ形ばかりでは全然ダメで、神さまの御心に従って生きようとする中身こそが大切だ。本当にそうだ」と気づいたからです。
【補足/罪の自覚と悔い改め】
「自分は神に逆らっていて、とても罪深い」とは、なかなか思うことができません。むしろ、「自分こそが、神の御心にかなう正しい人間だ」とほとんどの人々が思い込んでいました。しかも! 「正しい人は一人もいない」と聖書は断言します。また、「もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであって、神の言はわたしたちのうちにない」(ローマ手紙3:9,ヨハネ手紙(1)1:8-9)。