2016年4月6日水曜日

4/3こども説教「主イエスにこそ従う」ルカ3:21-22

 4/3 こども説教 ルカ3:21-22
  『主イエスにこそ聞き従う』

3:21 さて、民衆がみなバプテスマを受けたとき、イエスもバプテスマを受けて祈っておられると、天が開けて、22 聖霊がはとのような姿をとってイエスの上に下り、そして天から声がした、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。    (ルカ福音書 3:21-22)

  この私たちは、何のために洗礼を受けるのか? 神さまの子供たちとしていただいて、神さまの子供たちとして生きていきたいと願うからです。神さまの子供とされて、神さまに素直に聴き従って、神さまに守っていただいて暮らすのがとても心強くて幸いな人生だと知っているからです。おさらいですが、神さまに逆らって自分勝手に生きることが『罪』の正体です。その罪から救い出されて、神さまに素直に従って生きることが『罪のゆるし』です。救い主イエスは元々最初から神の子供ですし、父なる神さまに心から従う方ですから、自分自身のためには洗礼を受けなくても良かったのです。主イエスの後につづいて、主イエスによって神さまの子供たちとしていただくこの私たちのために、こうやって手本を示してくださいました。
  主イエスが洗礼を受けたとき、聖霊が主イエスのうえに下ってきました。また、天が開けて、天の父なる神さまからの声が聞こえてきました。主イエスに向かって、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」22節)と。しばらく後で、主イエスと弟子たち3人が高い山に登って、主イエスのお顔の様子が変わり衣もまぶしいほどに白く輝いたとき、そっくり同じことがもう一回起こりました。天の父なる神さまが主イエスを指差して、「これはわたしの子、わたしの選んだ者である。これに聞け」(ルカ9:35。ね、そっくり同じことが二回もつづけて起こったということは、とても大切なことだということです。主イエスと私たちとでは、同じ所と少し違う所があります。主イエスも私たちクリスチャン全員も、両方共、神さまの子供です。けれど私たちは、イエスさまのおかげで、後から神の子供にしていただきました(「子たる身分を授けられた」ローマ手紙8:15,ガラテヤ手紙4:6。それで主イエスも私たちも、両方共に神の子供なんだけれども、とくに主イエスを『神の独り子』とも言い続けています。また、主イエスは父なる神さまの御心にかなうかたですが、私たちはどうでしょう? まだ、なかなかそうではありません。父なる神さまの心にピッタリかなうことを言ったり、したりするときもありますけれど、そればかりではなく、父なる神さまの御心に背く悪いことを言ったりしたりして、神さまを怒らせたり悲しませたりすることも多かったですね。だからこそ、『主イエスこそが父なる神さまの御心にかなうかただから、なにしろ、もっぱら主イエスにこそ聞き従いなさい』と命じられているのです。主イエスにこそ聞き従って生きるためには、それじゃあ、どうしたらいいでしょうか? 主イエスが何を仰ったのか、何をどう考えて、どう教えておられるのかを、よくよく学ばなければなりません。それをしっかり心に覚えて、そこでやっと主イエスに聞き従って生きることができます。それで私たちは大人も子供も、聖書を一所懸命に読んで、調べて、心によくよく覚えつづけているのです(「聖書は主イエスについて証言する」「~イエスは神の子であると信じて、イエスの名によって命を得るために書かれた」ヨハネ福音書5:39-40,15:3,20:31,マタイ福音書11:28-30,28:18-20。せっかく神の子供にしていただいたのですから、ぜひ、神さまの御心に素直に聞き従って生きる自分になりたくて。格別な生命を受け取りつづけて、そのように毎日毎日を生きる自分にならせていただきたくて。






 とりなしの祈り

 救い主イエスを死人の中からよみがえらせてくださった父なる神さま。主イエスと私たち自身のための新しい生命を、この私たちにも、堅く信じさせてください。主イエスの死に結びつけて、どうか私たちを、古い罪の自分と死に別れさせてください。
 自衛隊員たちが世界中の紛争地域に派遣され、無駄に殺したり殺されたりしはじめます。小さな少年の兵隊たちとも命を奪い合います。外国で暮らす日本人とその家族の生命も狙われつづけます。恐ろしいことです。総理大臣と政府が悪いだけでなく、マスコミが悪いだけでなく、国民である私たちには大きな責任があります。子供や孫や、あとに続く世代に対して、私たちには大きな責任があります。黙って口を噤んでいることで、このとんでもない悪事の片棒を私たちに担がさせないでください。ですから神さま、とても悪い戦争法案を廃止し、民主主義と憲法を守る国へと立ち戻ることができる日まで、この私たちが挫けずに立ち向かうことができますように。福島での原子力発電所事故は、ほんの少しも収束していません。収束できる見込みさえ全く立っていません。同じ規模の大きな事故がこの先、何度も何度も繰り返されるでしょう。やがてほんの数十年で、日本中が人の住めない荒れ果てた不毛の土地になり、人々はやはり同じく「想定外だった。思いもかけなかった」と口々に言うでしょう。それでもなお私たちの国は原子力発電所を次々と再稼働させ続け、毎日100トンもの放射能汚染水を海に垂れ流しつづけ、アジア諸国にその危険で無責任な発電所を売りつけようとしています。原発事業に関する一連の扱い方はまったく安全ではなく、正直でも誠実でもなく、ほんの少しも透明ではありません。このはなはだしい無責任さも身勝手さも、他の誰かのせいではなく、目も耳も口も塞いでしまっているこの私たち自身にあります(*)。日本で暮らす外国人を憎んだり排除しようとする人々の活動に対しても、私たちは責任があります。過酷で劣悪な労働条件で働かされ、安く利用され、使い捨てにさせられつづける人々の貧しく惨めな暮らしに対しても、米軍基地を無理矢理に押し付けられ、ないがしろにされつづける沖縄の同胞たちに対しても、神さま、私たちには果たすべき大きな責任があります。貧しく心細く暮らす子供たちとその家族に対して、年老いた人々に対しても、若者たちに対しても、被災地や仮設住宅に置き去りにされている人々に対しても。神さま、私たちが目と心を閉じてしまわないように、どうか私たちを目覚めさせていてください。
  主なる神さま。私たちは、あなたに助けを求めないために、なすべき働きに失敗することがあるからです。自分ひとりで誘惑に立ち向かおうとして、誘惑と恐れと心細さに飲み込まれてしまうからです。「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と主イエスは約束してくださいました。この確かな約束のうちに、すべてのことにアタフタせず、御心にかなって立ち向かう勇気と力とを、あなたご自身の手から受け取らせつづけてください。
主イエスのお名前によって祈ります。

          (*)参照 (YouTube)ドイツARD放送『放射能汚染された土地』(2016,3,12)/ドイツZDFテレビ『5年目のフクシマ、幻影の希望』(2016,3,22)


★★★  礼拝予告 ★★★
10 『死んで、それで終わりではない』
  テサロニケ手紙(1) 4:13-5:10/詩23
 17 『明日も分からない生命?』
         コリント手紙(1) 15:17-33
 24  『無から有を呼び出す神』
ローマ手紙 4:17-25
1 『生きるにも死ぬにも』
ローマ手紙 14:4-9

   8 『私は動かされない』詩篇 16:7-11